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2013年7月21日日曜日

ニンスタの歩き方 ニンジニアスタジアム 徹底攻略ガイド その5



 13時7分、愛媛県今治市にある 「今治城」に到着。




 日本城郭協会が発行している、「日本100名城 公式ガイドブック」をUさんが購入したのが2009年のこと。




 その記念スタンプをコレクションする目的で、ジェフ千葉のアウェイ観戦の度に観光がてらお城巡りをすることが定番となっています。




 Uさんのスタンプ帳にこれまで押されてきた記念スタンプの数は12城。




 今治城でやっと13個目のスタンプをゲットです。(一生のうちに100個全部コレクション出来るんかいな?)




 今治城の入り口には、今治市名誉市民の檜垣俊幸氏の銅像と石碑が建っていました。






 今治城は、香川県高松市にある 「高松城」や、大分県中津市にある 「中津城」と並んで、日本三水城と呼ばれています。




 理由は、お城の堀の周りに海水が引かれており、日本有数の海岸平城として有名です。




 築城の歴史については、今治城で配布されたパンフレットの内容を以下引用します。


 関が原の戦いでの戦功により、伊予半国20万石を領した藤堂高虎(とうどう たかとら)が、




 瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城。別名、吹揚城(ふきあげじょう)ともいう。
 



 慶長7年(1602年)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測される。




 海水が引かれた広大な堀や港(舟入)などを備えた日本屈指の海城であった。




 寛永12年(1653年)から松平久松(まつだいら ひさまつ)氏の居城となった。




 明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなった。




 昭和28年(1953年)に県指定史跡。昭和55年(1980年)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せている。(以上、引用)




 今治城の歴代城主についての記述。(以下、引用)


 藤堂氏  藤堂高虎は、近江国犬上郡藤堂村(現 滋賀県甲良町)出身。はじめ浅井長政(あさい ながまさ)に属し、




 のち豊臣秀長(とよとみ ひでなが)・同 秀吉(ひでよし)に仕えた。関が原の戦いは東軍に属し、




 その戦功により伊予半国20万石の領主となり、慶長7年(1602年)今治を居城に定めた。




 同13年伊勢国津(現 三重県津市)に転封された。築城や交渉の才に優れ、外様えありながら幕府の信頼が厚い名将えあった。




 高虎の転封後、養子高吉(たかよし)が今治城代となり、2万石を領した。


 藤堂高虎 - 高吉




                         (今治城 正面広場にある築城の名手 藤堂高虎像)




 松平(久松)氏  徳川家康(とくがわ いえやす)の異父弟の子である伊勢国長島城主、松平(久松)定房(さだふさ)が、




 寛永12年(1635年)今治城主3万石に封ぜられた。




 以後、廃藩置県まで10代230年余りにわたって統治した。




 松平定房(さだふさ) - 定時(さだとき) - 定陳(さだのぶ) - 定基(さだもと) - 定郷(さださと) -

 定休(さだやす) - 定剛(さだよし) - 定芝(さだしげ) - 定保(さだとも)勝道 - 定法(さだのり)


 以上、引用。




 今治城の隣には、吹揚神社(ふきあげじんじゃ)がありました。




 吹揚神社のご祭神は、藤堂高虎はもちろんのこと、あの有名な 天照大神(あまてらすおおみかみ)も祭られています。




 ご利益は、所願成就、出世開運、武勇長久、商売繁盛、良縁祈願、






 病気平癒、起業成就、豊漁祈願、航海安全などがあげられます。

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