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2013年7月22日月曜日

ニンスタの歩き方 ニンジニアスタジアム 徹底攻略ガイド その24 (終)

(岡山城1階にある備前焼工房では、土ひねり体験ができます。また、2階では大名駕籠(かご)に乗って記念撮影が行えたり、お殿様やお姫様の衣装を身に着ける着付け体験もできます)




 天守閣から外に出ると同時に、タクシーの運転手さんに貰っておいた名刺の電話番号に連絡を入れるUさん。




 行きのタクシーの中で、「帰りにタクシーを呼ぶ時は、旧榊原病院の入口で待っています」と伝えてくれれば運転手が迷わないと教えてもらったので、




 「20分ほど前に岡山城まで利用させてもらった者なのですが、旧榊原病院の入口で待っていますのでよろしくお願いします」と告げて待ち合わせ場所まで歩くことに。




 この時、時刻はすでに16時43分を回っており、タクシーの到着次第ではJR岡山駅に歩いて向かわなければならないため予断を許しません。




 5分後、最寄を走っていたタクシーと連絡が取れ、旧榊原病院の入口付近で乗車できた時は本当にホッとしました。




 旧榊原病院の入口からJR岡山駅までの道のりは行きと同じく約11分間で、16時59分に無事到着。


(旧制第六高等学校の創立100周年を記念して、平成12年に建てられた銅像。破帽・黒マント・弊衣・高下駄という風貌で、ドカベンに出てくる岩城の様ないでたちが印象的でした)




 新幹線のぞみ44号の発車時刻まで残り15分しかないというギリギリの状況。




 行きに荷物を預けた、「岡山駅 新幹線改札外 東口方面 二階エレベータ前」のコインロッカーに急いで向かいます。




 こちらのコインロッカースペースには、縦316mm×横355mm×奥行き575mmサイズのロッカーが95台(300円)の他に、キャリーバッグが入るサイズのロッカーが3台(400円)、スーツケースが入るサイズのロッカーが3台(600円)設置されていました。




 日曜日の夕方とあって、新幹線ホームに向かう通路はまだまだ大勢の利用客で賑わっていました。


 昨日の段階では、帰りにJR岡山駅のお土産売り場に寄るつもりでいましたが、乗車時間まで10分ちょいしか無かったため、泣く泣く断念。




 東京方面に向かう23番のりばに到着した頃には、西日がすっかり傾いて長い影を作っていました。




 そういえば、桃太郎の銅像なんかも見る暇が無かったな~。(せっかくの岡山なのに・・・)




 「限定列車に乗り遅れたら大変!」と、昨日の最寄駅の始発に乗った時から分刻みのスケジュールを遂行してきましたが、ようやく全ての緊張が解け、ドッと疲れが出てきました・・・。




 後日談 (健康には十分注意しましょう。の記事はこちら)




 1泊2日の旅行で4つのお城巡りを詰め込んだスケジュールも無茶苦茶ですが、私の考えた計画に嫌な顔一つせずついて来てくれるUさんにも頭が下がります。


(新幹線のぞみ44号の指定席16号車は先頭車両でした)




 日本100名城公式ガイドブックの記念スタンプも、今回の旅行で16個まで増やすことができました。




    (第80番目 湯築城 愛媛県松山市道後公園 スタンプは湯築城資料館)




    (第79番目 今治城 愛媛県今治市通町3-1-3 スタンプは今治城天守閣)




    (第81番目 松山城 愛媛県松山市丸之内1 スタンプは松山城天守入口)




     (第70番目 岡山城 岡山県岡山市丸の内2-3-1 スタンプは岡山城天守閣入口)




 東京へ向かう新幹線のぞみ44号は、17時14分の定刻にJR岡山駅を出発。




 Uさんの晩御飯は、JR岡山駅で購入した「いいとこ鶏弁当 950円」。




 もち米入りの味ご飯に瀬戸内産のノリを敷き、岡山県産の二種類の鶏肉、備中森林鶏と備中高原鶏をいろいろな味でトッピングしてあります。




 もも肉は塩だれと照り焼きに、むね肉は蒸し鶏と唐揚げに仕上げてあります。いろいろな味が楽しめる、鶏肉好きにはたまらない「いいとこどり」の駅弁です。




 20時33分、定刻にJR東京駅に到着。


 アウェイ観戦 & 旅行からの帰宅時は、毎年、長旅からのご褒美という意味で特急で最寄り駅まで帰ることにしているため、21時00分発の特急わかしお27号に乗車することに。




 今年のアウェイ観戦 & 旅行もたくさんの思い出を作ることが出来て本当に充実した2日間になりました。


 ただ、帰宅してからもゴールシーンの動画をアップしたり、やることがビッシリ溜まっているので、私自身が本当に気が休まるのは全てが終わった時かも知れません。(汗)


 はぁ~、これから頑張ろう~っと。(タメ息)


  ゴールシーンはコチラ↓

 2013 愛媛FC vs ジェフ千葉 米倉恒貴選手がチームを6連勝に導くゴールを決める!千葉1-0愛媛


 (終わり)

ニンスタの歩き方 ニンジニアスタジアム 徹底攻略ガイド その23



 旭川に架かる月見橋を100メートルほど北に歩くと、日本三名園の一つ 「岡山後楽園」があります。




 日本三名園といえば、茨城県水戸市にある「偕楽園」、石川県金沢市にある「兼六園」、そしてこちらの「岡山後楽園」。




 2011年7月3日にアウェイの vs カターレ富山戦の観戦に行った際、翌日、石川県まで足を伸ばして兼六園を観光することが出来たのですが、今回は時間が無いため泣く泣く断念。


 せっかくこんな近くまで来てるのに・・・。いつか絶対にリベンジしてやる!(できれば9月29日の vs ファジアーノ岡山戦でもう一度来たい)




 日差しも西に傾きはじめた16時31分、岡山城の敷地に足を踏み入れても数えるほどしか観光客の姿がありません。




 それもそのはず、岡山城への入館は17時までということで、残り29分しか無いこのタイミングでお城巡りをしようと企むほうが無謀というもの。(観覧時間は17時30分まで)




 城内の展示品やお城の歴史をしっかり学ぼうとするなら、どんなに少なく見積もっても45分~1時間はみておかなくてはいけないでしょう。




 周囲800メートル以内には様々な観光地があり、後楽園まで200m、林原美術館・岡山県立図書館まで400m、県立博物館・岡山シンフォニーホールまで500m、市立オリエント美術館まで600m、県立美術館・観光案内所まで700m、夢二郷土美術館まで800mとなっています。




 表書院跡の北西隅に建つ 「月見櫓」は、この本丸内に現存する唯一戦火を逃れた建物で、国の指定重要文化財にもなっています。




 元和・寛永年間(1615~1632年)に岡山城第5代城主・池田忠雄(ただかつ)によって建てられた月見櫓は、文字通り「月見」を楽しむためにも用いられたようですが、本来の目的は表書院の北西を防衛するためのもので、




 櫓自体も武器の貯蔵庫になっており、隠し銃眼(鉄砲を撃つための狭間)や中世的な石落としの装置などが設けられています。






 表書院と本段を繋ぐ不明(あかずの)門をくぐるUさん。私たちの後ろからは誰一人としてお城に向かう姿も無く、まさに岡山城貸し切り状態。(笑)




 正面にそびえる岡山城天守閣は、今までのお城巡りでは見たこともない紺色の外壁を有しており、その建造の歴史にも興味深々。




 「不明(あかずの)門」を通り抜け、石段を上りきった上段は「本段」と呼ばれる広場になっていて、この南東の一面には多くの石が整然と並べられた場所がありました。




 これらの 「礎石群」は昔の天守閣の礎石を移したもので、かつてはこの状態で重く大きな天守閣を支える役割を果たしていたとのこと。


(天守閣正面入口の右側には、岡山城の唄が書かれた石碑があります)




 入場料金は大人(15歳以上)が300円で、観覧時間は午前9時~午後5時30分(入館は午後5時まで)。


 また、岡山城と後楽園の両方に入場できる共通券 大人560円(15歳以上)なども販売されています。




 日本100名城公式ガイドブック専用の記念スタンプは天守閣入口にありました。


 記念スタンプを押すだけなら入場料を払う必要は無いのですが、せっかくここまで来たということで、殿様気分を味わうために岡山城下が一望できる最上階まで上ることに。




 城内入ってすぐ、昭和41年に天守閣が再建された時に最上部に掲げられていた金のシャチホコが展示されていました。




 これらの金のシャチホコは土製の瓦として焼かれた後に、漆を接着剤にして金箔を貼りつけたもので、同様の仕事がなされたものが現在の天守格最上部にも金色の輝きを放っていました。




 (岡山城の歴史)


 岡山城は、本格的な城づくりのスタートとされる織田信長の築いた安土城にならって作られた日本を代表する城郭建築で、城の研究には避けて通れない貴重な城である。


 いつも豊かな清水をたたえて流れる旭川、日本三名園の一つ 「後楽園」を背景にしたこの城は、天守閣の基壇(天守台という)が北に大きく突き出た不等辺五角形という、全国に全く例のない珍しい形をしており、また塩蔵を併設した複合の天守閣である。




 かつての岡山城の場所は、今の天守閣のある位置より西に300mほど行った、現在の市民会館や放送局の建っている高台(石山という)にあった。


 天正元年(1573年)、宇喜多直家が当時ここの城主であった金光宗高を滅ぼし、その城を修築した後、沼城(岡山市東区沼)から移ってきた。




 今の岡山城を築いたのは、宇喜多直家の実子、秀家(ひでいえ)で時の天下人、豊臣秀吉の養子となって「秀」の一字をもらった人物である。


 秀吉が天下を握ると、秀家は父の遺領である備前・美作のほかに備中の一部ももらい、57万4000石の大大名となった。




 そして年若くして、参議従三位という異例の出世をとげ、「備前宰相」と呼ばれた。


 こうなると、今の石山の小さな城では満足できず、秀吉のアドバイスに従い、現在天守閣の立つ場所 「岡山」という名の小さな丘の上に、新しく旭川の流れをつけかえて、掘削した土砂を盛り上げ、上中下三段の地形を造成した。




 そして天正18年(1590年)から本格的な城づくりを開始した。


 途中、秀吉の朝鮮半島への進攻には、総大将として出陣したが、帰ってくるとすぐに工事を継続し、ついに慶長2年(1597年)の天守閣の完成で一応城づくりの全工事を完了した。


 起工以来、実に8ヵ年にも及ぶ大事業であった。




 月日は流れ、昭和6年と8年(1933年)の二度に分けて国宝に指定された岡山城であったが、昭和20年(1945年) 6月29日の早暁、第二次大戦による市街地空襲で、惜しくも天守閣・石山門を焼失してしまった。




 現在の天守閣は、昭和41年(1966年) 11月3日、市民の長年にわたる要望で作られた鉄筋コンクリート造りだが、外観は旧状通りに再現された。


 また、同時に 「不明(あかずの)門」 ・ 「廊下門」 ・ 六十一雁木(がんぎ)上門、それに周囲の塀なども古い絵図面に従い、外観通りに再現された。


 (岡山城公式パンフレットを引用)


(岡山城天守閣の最上階から見える「後楽園」の様子)




 駆け足で見てきた城内から1階に降り、時計を見ると入城からわずか11分しか経過していませんでしたが、この時すでに時刻は16時42分を回っており、「新幹線のぞみ44号」が発車する17時14分まで猶予は32分しか残っていませんでした・・・。