フクダ電子アリーナ

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2015年10月27日火曜日

長良川競技場の歩き方 徹底攻略ガイド 愛知 & 岐阜旅行 その21 (終)



 Uさんと初めてアウェイ観戦に行ったのは2009年のこと。この年はシーズン序盤から低迷し、初勝利をあげたのは6試合目でした。


 シーズン中盤までは4勝7分6敗と何とか食らいついていたものの、中盤以降はさらに失速し、第31節の vs 川崎フロンターレ戦に敗れ、4勝12分15敗の勝ち点27で降格が決定。




 そんな失望の中、「J1チームとの対戦も来シーズンは観れないから、最終戦のガンバ大阪戦行ってみる?」ということで、12月5日に行われる万博記念競技場にアウェイ観戦で行ったのが始まり。


 ガンバ大阪との勢いの差は明らかで、試合も意地を見せることなく0-2で完敗。初めてのアウェイ観戦は敗戦という結果になりました・・・。




 翌年の2010年は初めてのJ2リーグ参戦ということで、普段はなかなか行くことの出来ない地方のスタジアムを観てみたいと岐阜を選びました。


 スタジアム巡りをしている私にとって、今では貴重な体験となった長良川球技メドウでの試合。
前半32分に西川優大選手が決めたゴールが決勝点となり、昨年に続く敗戦でアウェイ観戦2連敗。

 


 2011年は、「日本海側のスタジアムで観戦してみたい!」ということで、カターレ富山の本拠地 「富山県総合運動公園陸上競技場」におじゃましました。


 試合は深井正樹選手とオーロイ選手のゴールで2点をリード、終了間際にジェフにも所属した黒部光昭選手の意地の一発だけに抑え2-1で何とか勝利。アウェイ観戦の成績を1勝2敗としました。




 2012年シーズンはガイナーレ鳥取の本拠地である 「とりぎんバードスタジアム」で観戦し、2年連続の日本海側のスタジアムへの来場となりました。


 前半19分に藤田祥史選手のゴールで先制するも同点に追いつかれ試合は1-1のまま後半へ。
ドローかと思われた後半アディショナルタイムにまさかの逆転ゴールを決められ1-2で敗戦。先制点を取られると17連敗していた相手に逆転勝利を献上し、アウェイ観戦も3敗目となりました。




 2013年シーズンは愛媛FCの本拠地である 「ニンジニアスタジアム」に来場し、初の四国上陸となりました。


 試合は後半15分に米倉恒貴選手が目の覚めるようなヘディングをゴールに突き刺し、1-0で辛くも勝利。アウェイ観戦の成績を2勝3敗としました。




 アウェイ観戦の成績をイーブンに戻すべく2014年シーズンに選んだのは、既にJ1昇格を決めて勢いに乗る松本山雅FCの本拠地、「松本平広域公園総合競技場(通称 アルウィンスタジアム)」。


 歴代最高入場者数18,114人の大声援をバックに躍動する松本山雅、その勢いを跳ね返す力はジェフには無く、試合も森本貴幸選手が挙げた1点のみで1-2で敗戦。アウェイ成績も2勝4敗に。




 そして2015年シーズン、6年ぶりのリベンジとして選らんだのが、FC岐阜の本拠地である「長良川競技場」だったのです!


 前に来た時は 「2012ぎふ清流国体」のメイン会場として使用するため改修工事中だったので、次の観戦に来る時はぜひ、長良川競技場で観戦したいと思っていました。




 昇格プレーオフに進出することが出来る6位以内を目指すべく奮闘したジェフでしたが、後半37分にコーナーキックから見事なボレーを決めた岡根直哉選手の貴重なゴールが決勝点となり、6年前と同じく0-1での敗戦。


 これまでのアウェイ観戦の成績も通算2勝5敗となり、私にとってアウェイ観戦はまさに鬼門となっているのです・・・。




 13時52分、名鉄・犬山駅に到着、疲れた~。




 乗車運賃は、550円×2人分で1100円なり。




 14時07分発の豊橋行きが特急だったので、乗車時間が25分の特急を待つことに。




 1・2番線ホームに降りてみるとちょうどホームの間に待合室があったため、母親と2人でイスに座って電車が到着するまでまったり過ごしました。




 14時32分、名鉄・名古屋駅に到着。




 今朝は昨晩コンビニで買っておいたおにぎりとサンドイッチしか食べていなかったので、母親と私もお腹がペコペコ状態。


 JR名古屋駅 広小路口から入って構内のグルメストリートを目指します。




 名古屋に来たらどうしても母親に食べさせたいものがありました。それは6年前に来た時もUさんと一緒に食べた 「ひつまぶし」。




 中央コンコースを歩いていると、「名古屋うまいもん通り」と書かれた電光看板が地下1階へと我々を誘います。(笑)




 名古屋 うまいもん通りは、1・カレーのWave(ウェーブ)、2・とんかつ・酒処のキッチンなごや、3・焼き鳥の赤い鳥、4・和食 鰻の香楽(こうらく)、5・そば居酒屋のみやび、6・寿司の廣寿司(ひろずし)という6つの名店が軒を連ねているグルメストリート。




 時刻は14時43分、お昼のピークを過ぎていたこともあり、どのお店もポツポツとしかお客さんは入っていませんでした。


 通りから歩いて3件目、「和食・鰻の香楽(こうらく)」の前まで行ってガラスケースのメニューを見てみると・・・。


 ひつまぶし(並) 2750円。ひつまぶし(大) 3450円。 あっれぇ~っ?ひつまぶしってこんなに高かったっけ??




 6年前、Uさんと一緒に食べたひつまぶしでしたが、ここまで高かった印象はありませんでした。


 この旅行の3日前、Uさんの職場に物を届ける途中に一時停止違反で7000円の反則キップを切られていたことを知っていた母親がポツリ、「ひつまぶしじゃ無くて、他のものでもいいよ」。




 母親との旅行なんてそう何度もあるもんじゃないから、来た時くらいは好きなものを食べさせてあげたい気持ちは(気持ちは)充分ありましたが、今回はお言葉に甘えて他の食べ物を食べることに。




 JR名古屋駅構内を歩いていると、全国の有名ラーメン店が一堂に会した 「名古屋駅 驛麺(えきめん)通り」という看板を発見。


 1・名古屋らーめん 「なご屋」、2・東京らーめん 「えいふく町」、3・博多らーめん 「がんがら堂」、4・和歌山らーめん 「きのかわ軒」、5・札幌らーめん 「ほくと亭」、6・旭川らーめん 「だいせつ洞」、7・屋台(つけ麺)の7店舗。




 せめてもの償いということで母親の意見を尊重すると、「せっかく名古屋に来たんだからご当地のラーメンを食べてみたい」と言うので、通りの一番手前にあった名古屋らーめん 「なご屋」に入ることに。




 私自身は胸に痞(つか)える感じが残っていたので、1人分だけ 「名古屋定食 1280円 (特製名古屋コーチンらーめん・天むす2個・味噌串カツ2本)」の塩味を注文。




 「一人じゃ全部食べきれない」と言うので、母親がラーメンを食べている間に私は天むす1個と味噌串カツ1本を貰って食べました。


 歩き通しで疲れていたこともあり、20分程時間を掛けてゆっくり食べていたのですが、店内がだいぶ忙しく賑やかになってきたのでお店を出てお土産を買うことに。




 お土産は7月16日に中央コンコースにオープンした 「GRAND KIOSK (グランドキオスク)名古屋」で物色。


 以前のアウェイ観戦では一人々々にそれぞれ違うお土産を買っていたのですが、「自分だったらいろんな味が楽しめた方が嬉しいな」と思い、2年程前からは小分けになったお菓子を数種類買って袋詰めし直してプレゼントする様にしました。




 職場の分とフクアリでいつも一緒に観戦している仲間の分を合わせて9,838円なり。(勝ち点3をお土産に出来なかったことは少々心残りですが・・・)




 全ての用事が済んだのがちょうど16時。




帰りの新幹線の時刻は17時29分。いくら何でも改札を通るのは早すぎるということで、中央コンコース中ほどにあった本屋で暇をつぶすことに。




 30分ほど本屋で時間をつぶした後、結局、銀の時計台がある辺りまで帰ってきて柱に寄りかかったりしてただ時間が過ぎるのを待っていました。


 母親もいたことだし、ケチらないで喫茶店かどこかでイスに座ってゆっくり過ごせば良かったと思ったのは後になってから。(来年、母親と一緒に旅行する時は絶対にそうしよう!)




 17時03分、こだま672号に乗車するため15番線ホームに向かって歩きますが、階段を登る母親の姿が何とも痛々しい。





 こだま672号が入線するまでの間、新幹線ホームにある待ち合い所で休憩。




 帰りの新幹線では疲れで眠くなるかと思いましたが、行きと同じで今回の旅行の思い出話をしているうちにあっという間に2時間48分経ってしまいました。





 アウェイ旅行の復路は 「フクアリの歩き方」恒例の特急を利用。(笑)




 JR特急わかしお21号・安房鴨川行きが発着する京葉線1・2番をホームを目指します。




 地下4階の京葉線ホームまで降りてみると、2番線ホームに21時10分発の君津行きがガラ空きで停車していたため、一瞬、特急料金をケチってこっちに乗ろうとしましたが、名古屋駅でのこともあったので素直に特急を使って帰ることに。




 今回の旅で思ったのは、6年前に行った時よりも岐阜の街全体がFC岐阜というクラブの存在を大切にしていて、スタジアムでの声援はもちろん、アウェイのサポーターに対しても観戦に行き易い環境作りをしているなぁと感じました。




 チケットの半額キャンペーンやシャトルバスの確保は地元企業の協力やサポートが無ければ成り立ちませんし、クラブを少しでも強くしたいと願う恩田社長以下、運営スタッフの力があってこそJ2残留という目標も達成できるのではないでしょうか?




 今シーズンも残り4試合、J1昇格プレーオフに進出できる6位までは勝ち点2と差はありますが、悲願であるJ1復帰に向けて全力で残り試合を戦い抜きたい、そう思えたアウェイ観戦になりました。


 (おわり)

長良川競技場の歩き方 徹底攻略ガイド 愛知 & 岐阜旅行 その20



 犬山城天守閣の最上階(4階)には、成瀬家以前の城主が書かれた額と、歴代の成瀬家城主の人物画・写真が飾られていました。




 初代城主 成瀬正成 在位期間 元和3年(1617)~寛永2年(1625) 9年間、2代目 成瀬正虎 在位期間 寛永2年(1625)~万治2年(1659) 35年間、3代目 成瀬正親 在位期間 万治2年(1659)~元禄16年(1703) 45年間、




 4代目 成瀬正幸 在位期間 元禄16年(1703)~享保17年(1732) 30年間、5代目 成瀬正泰 在位期間 享保17年(1732)~明和5年(1768) 37年間、6代目 成瀬正典 在位期間 明和5年(1768)~文化6年(1809) 42年間、




 7代目 成瀬正寿 在位期間 文化6年(1809)~天保9年(1838) 30年間、8代目 成瀬正住 在位期間 天保9年(1838)~安政4年(1857) 20年間、




 9代目 成瀬正肥 在位期間 安政4年(1857)~明治2年(1869) 13年間、




 10代目 成瀬正雄 誕生 明治2年(1869)~卒去 昭和24年(1949) 享年81歳、




 11代目 成瀬正勝 誕生 昭和39年(1906)~卒去 昭和48年(1973) 享年68歳、




 12代目 成瀬正俊 誕生 昭和5年(1930)~卒去 平成20年(2008) 享年77歳。




 【高欄の間】 ここ4階は高欄の間といい、廻縁からの展望は素晴らしく、戦国時代の見張台及び司令塔であったとみられます。また、対岸は美濃国で、自然の断崖という天然の防備を持っています。(広さ 49.835平方メートル)





 天皇家が犬山城にご登閣された時の記念写真も飾られていました。


 高円宮妃久子様 平成24年4月29日




 美智子様 紀宮様 ご登閣 昭和54年11月7日




 礼宮様 ご登閣 昭和53年4月5日




 浩宮様 ご登閣 昭和44年4月4日




 常陸宮様 ご夫婦 ご登閣 昭和43年8月12日




 皇太子殿下 ご夫婦 ご登閣 昭和43年3月28日




 三笠宮崇仁親王殿下 ご登閣 昭和42年6月11日




 清宮貴子内親王殿下 御登閣 昭和29年




 従五位下 藤原朝臣 成瀬正成 出陣の勇姿




 名誉市長 成瀬正俊 平成6年4月23日




 天正12年3月27日 豊臣秀吉公




 小笠原和泉守吉次公之像




 平岩主計頭親吉公 慶長12年~16年 在位5年 慶長16年卒70歳




 南の方角から見える犬山城下町や、遠くの山々が描かれている風景画。




 天正末期の頃の犬山城より東方を望む風景画。




 天守閣4階(最上階)の部屋の様子。30分以上掛けて展示物や外の風景を見ることができ、犬山城を満喫することができました。




 入場口まで降りて行くと、これから登ろうという高齢者グループの中で明らかに足腰の弱そうなお婆さんがいて、「うわぁ~、こんなに急じゃ私怖くて登れないわ・・・」と独り言を呟いていたので、


 母親が、「これから一番上まで4回階段を登らなくちゃいけませんから、自信が無いなら登らずにここで待っていたほうがいいんじゃないですか?」と声を掛けると、




 「そうよねぇ、私の体力じゃ無理だから、みんなに迷惑を掛ける前に止めておくわ」と言って、同伴のグループが降りてくるまで入口で待っていることに。


 昨年、観光で行った長野県の松本城もそうでしたが、古来より現存している天守閣には便利なエレベータ等が無いため、体力に自信の無い高齢者の方は登らない勇気も必要だと感じました。




 入場口付近には、複数のお城を巡ってスタンプを集めると豪華賞品が貰えるスタンプラリー用のスタンプが置かれていました。




 13時01分、この旅最後の観光も終えたことから、前庭にある床机(しょうぎ)に座ってゆっくりすることに。




 母親も 「お城に登るなんて一生無いかも知れないから」と付き合って登ってくれましたが、先ほどのお婆さん同様、この旅の歩き詰めで相当疲れている様子。




 14時07分発の電車に乗ることにして、ただただ何もしないで疲労を回復させることに努めました。




 電車の時間も近づいてきたため、来た時よりも余計に見積もって名鉄・犬山駅を目指すことに。




 登りもきつかった石畳の道ですが、膝が笑っちゃうくらい疲れている足腰には下り坂の方が堪えます・・・。




 犬山城の黒門(くろもん)があったという場所まで歩いてくると、三光稲荷神社の鳥居の朱色が目に入ってきました。




 行きと同じくこの鳥居をくぐれば近いことは分かっていたのですが、違う景色も見たいということで敢えて正規ルートで帰ることに。




 ひたすら続く石畳の道は意外とフラットになっていて、雨の日や霜柱が立つような寒い日は足元がツルっと滑って危なそう。





 4分ほど歩いてようやく案内板まで来ることが出来ました。




 犬山城前広場の様子。本来ならここから登るのが正規ルートになっているんですね。




 犬山城前観光案内所の前では、記念写真を撮る観光客の隣で、よしもと所属の芸人さんが日替わりで人力車を引く仕事をしていました。(1000円で定員2名・所要時間15分)




 広場の前にはたくさんの食事処やお土産屋さんがあります。




 辺りの様子を見ていると、広場の西側に木製の大きな鳥居があるのが見えました。


 犬山神社は、初代城主である成瀬正成以降の歴代城主を祀るほか、戊辰戦争(1868年~)から太平洋戦争(~1945年)までの戦没者を祀っている神社。




 ここに来たのも何かの縁ということで、母親と共に参拝して帰ることにしました。




 広場の前では、それぞれの神社に参拝に来た人や犬山城の観光を終えた人達が入れ替わり立ち替わり通り過ぎていきます。





 お昼過ぎということもあって、犬山城周辺の観光名所を目指す観光客の姿もすっかり少なくなってきました。





 本町通りも、来る時は城下町の風情が見られて足取りも軽く感じられましたが、逆から見てみるとそういう雰囲気は感じられない普通の道に見えるから不思議です。

 
 つづく