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2015年10月27日火曜日

長良川競技場の歩き方 徹底攻略ガイド 愛知 & 岐阜旅行 その18



 三光稲荷神社の社殿の右側にある 「姫亀(ひめき)神社」。


 姫亀神社は男女良縁結・家内円満・夫婦和合の御神徳があるということで、夫婦が仲良く、むつまじく過ごし、子孫の繁栄を望む夫婦の祈願も多い神社です。




 隣には、「三狐地稲荷神社」の朱色の鳥居の奥に 「御縁の松と女陰石」と書かれた立て札と共に女陰石が祭られていました。




 三光稲荷神社には 「おもかる石」というものあり、願いや思いを神様にお願いし、叶うときは石が軽く感じ、叶わないときは重く感じるという不思議な石です。





 三光稲荷神社の鮮やかな朱色と幾重にも重なった鳥居は、京都の伏見稲荷大社を彷彿とさせるもので、外国人観光客などはとても日本的な雰囲気を感じるのではないでしょうか?





 鳥居をくぐって登りきったところには、「市神社」 と 「秋葉神社」という2つの神社もありました。




 このまま右に右にと進んで行ったら 「針綱神社」の鳥居まで来てしまったため、慌てて元の犬山城への近道ルートへ戻ることに。




 日本城郭協会が発行する 「日本100名城 公式ガイドブック」をUさんが購入したのは2009年のこと。




 その付録として付いてきたスタンプ帳を片手に、これまで17ものお城を巡り、専用スタンプをコレクションしていくことがアウェイ旅行の目的の一つになりました。




 現存12城のうち、天守閣が国宝に指定されているのは全部で5つ。Uさんと私は過去に兵庫県の姫路城、滋賀県の彦根城、長野県の松本城に行ったことがあるため、犬山城で4つ目のスタンプゲットということになります。




 入場料金は、個人(一般)が550円、個人(小・中学生)が110円、団体の場合は人数に応じて割引率が変動するようになっていました。




 営業時間は9時~17時。(入城は16時30分まで)




  また、犬山城と庭園有楽苑がセットになったものや、犬山城と明治村がセットになったもの、さらに犬山城とリトルワールドがセットになったものなど、近くの観光名所とのセット券も販売されていました。




 12時05分、遂にこの旅最後の目的地である 「国宝・犬山城」に到着!




 入場門をくぐり抜けて後ろを振り向くと、門の2階部分が 「犬山城管理事務所」になっており、




 扉を開けると 「日本100名城 スタンプラリー スタンプ設置所」と書かれていました。




 さらに奥にある開き戸を開けると、管理事務所の一番手前が100名城の専用スタンプ設置所になっていました。




 「ご自由にご利用下さい」と書かれているものの、社会人のマナーとして管理事務所内で働いている人に一言 「スタンプ押させて下さい」と言うと、これまで数え切れない程同じ事を言われているにも拘わらず、とてもにこやかに 「どうぞ~」という声が返ってきました。




 Uさんへのお土産も兼ねて、犬山城のパンフレット裏の押印場所に専用スタンプと一般のスタンプを貰うことが出来ました。




 お土産売り場の前には、厚地の真っ赤な緋毛氈(ひもうせん)が被せられた床机(しょうぎ)、いわゆる縁台がいくつも置かれていますので、軽い食事や抹茶、甘酒などをゆっくり楽しむのも良いでしょう。




 犬山城の沿革 以下、パンフレットを引用。


 犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)に木之下城を移して築城したと伝えられています。




 こののち江戸時代初期にかけて城主はめまぐるしく入れ替わりました。


 天正12年(1584)小牧・長久手合戦の際には羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。




 江戸時代になり、元和3年(1617)尾張藩付家老、成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が代々受け継いで幕末を迎えました。




 明治維新に犬山城は廃城となり、天守を除いて櫓や門の大部分は取り壊され公園となりました。




 明治24年(1891)の濃尾震災で天守は大きな被害に見舞われました。同28年、愛知県から修復を条件に旧城主である成瀬氏に譲渡されました。




 また、多くの市民からの義援金により修復工事がおこなわれました。その後、昭和34年(1959)の伊勢湾台風などで天守の破損が激しくなったため、全面的な解体修理工事がおこなわれました。




 天守は昭和10年(1935)に国宝に指定され、同27年規則改正にともない再指定されました。


 また、天守の創建年代は天正(1573~92)頃、慶長5(1600)・6年などいくつかの説がありますが、現存する天守の中では最も古いと言われています。




 現在、犬山城天守は犬山城白帝文庫の所有となり、犬山市が管理をおこなっています。


 以上、引用。




 登閣の際は入り口でビニール袋をもらい、自分の履いてきた靴を入れて上がります。




 さすがに現存している国宝の天守閣だけあって、多くの観光客が上り下りした階段は表面がツルツル。リュックを胸前に抱えるようにし、左右の手すりをしっかり握っていないと大変危険です。




 天守の構造の概要 以下、パンフレットを引用。


 【総延面積】 698.775㎡  【天守の形式】 望桜型 【外観】 3重 高さ 19m 内部4階 地下2階(石垣の中)




 【1階】 納戸の間(282.752㎡)
中央部は4室に区画されており、その周囲には2間幅の武者走(通路)がめぐります。




 上段の間は床が7寸高く畳敷で、室内には床や棚などがもうけられています。
昭和の解体修理で、明治24年(1891)の濃尾震災により破損したという南東隅の付櫓(15.22㎡)と北西隅の石落としの間(7.17㎡)を復元しました。




 【2階】 武具の間(246.006㎡)
中央に武具の間があり、東・西・北の3方に武具棚を設けています。




 解体修理で発見された墨書銘から延宝3年(1675)に設置されたものであることがわかりました。




 【3階】 破風の間(81.936㎡)
入母屋屋根の中に位置します。創建当初は2階の屋根裏でしたが、増築に伴って3階となりました。南北には唐破風が設けられています。




 【4階】 高欄の間(49.835㎡)
高欄の間の4方には約半間の廻緑がめぐり、高欄の間の南北に出入口があります。出入口の左右には装飾化した花頭窓が配置されています。




 【天守の石垣】 石垣の高さは5mで、自然石をほとんど加工しないで積み上げた野面積みという工法です。


 以上、引用。




 月曜日のお昼時ということもあり、天守閣の中もかなり空いていて、城内の造りや展示物もじっくり観ながら進んでいきます。


 つづく

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