時刻は14時49分。15時15分発のJR東海道本線 新快速・大垣行きに乗車するため、6番線のりばに向かいます。
行き先はこの旅一番の目的地である、FC岐阜の本拠地 「長良川競技場」です。
初めて岐阜を訪れたのは2010年8月22日(日)のこと。
何故、アウェイ観戦の地が岐阜になったのかは、ジェフ千葉の栄光と失意の歴史を振り返らなければなりません・・・。
2009年シーズンを最下位で終えたことで、1965年から始まった日本サッカーリーグ(JSL)時代を含め、下部リーグへの降格経験の無い唯一のクラブとしての歴史に終止符が打たれました。
そんな「ジェフユナイテッド市原・千葉」の前身である、「古河電気工業サッカー部」が創部されたのは1946年。
1960年には実業団チームとして史上初めて天皇杯を制覇。(続く61年も優勝し連覇達成)
1964年の東京オリンピックが終わると、日本サッカーの抜本的な強化策として「日本サッカーリーグ(JSL)が設置され、
共に創設に尽力した日立製作所(現在の柏レイソル)、三菱重工(現在の浦和レッドダイヤモンズ)と併せて丸の内御三家と呼ばれるようになり、JSLの意思決定や日本サッカー協会に対して強い影響力を保つまでになっていました。
1976年には天皇杯に加え、念願の日本サッカーリーグを初制覇し二冠達成。
1986年には日本のクラブで初めてアジアクラブ選手権(現在のACL)を制覇し、アジアの頂点に立ちました。
プロ化が具体的に検討され始めた1990年、東日本旅客鉄道(JR東日本)との共同出資という形で新会社を設立する方式を採り、名称も「東日本JR古河サッカークラブ」に変更。
歴代のOBには、日本サッカー協会会長を務めた長沼 健氏、川渕三郎氏のほか、平木隆三氏、宮本征勝氏、奥寺康彦氏、永井良和氏、岡田武史氏などがいます。
Jリーグが開幕してからは低位を彷徨っていましたが、2003年にイビチャ・オシムを監督に招聘すると、チームはその豊富な運動量をベースに「考えて走るサッカー」を実践し、2003年・2004年シーズンはリーグ2位、2005年・2006年には念願のタイトルであるJリーグカップ連覇を達成!
しかし、バラ色の未来は長くは続かず、2006年7月に日本代表監督への就任を要請されると、シーズン途中にジェフ千葉の監督を辞任。
カリスマが去った後のチームは求心力を失い、当時、日本代表に選出されていた多くのメンバー達も魅力あるサッカーを求め他チームへ移籍。
イビチャ・オシムの長男であるアマル・オシムを監督にしたり、英プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドでヘッドコーチを務めていたアレックス・ミラーを監督に迎え入れるもチームのテコ入れにはならず、
2009年、44年間守り続けてきた「降格経験の無い唯一のクラブ」というプライドを手放すことになってしまったのです・・・。
2010年から始まった初めてのJ2リーグも、「どうせ1年でJ1に戻るんだから、普段ならなかなか行けない地方のスタジアムで観戦してみよう」などと、置かれた状況をあまり真剣に考えてはいませんでした。
猛暑の中で行われたアウェイのFC岐阜戦では、そんな慢心をあざ笑うかのようにカウンターを食らい0-1で敗戦。年間順位も4位に沈み、6シーズン経った今でもJ2の呪縛から逃れられないでいるのです・・・。
今回の旅行は、「6年前の忘れ物を取り戻しに行く」。そういう旅でもあるのです。
15時10分、6番線ホームに入線してきた新快速の大垣行きに乗車。運良く2人掛けの席が空いていたため母親と座ることに。
しばらくするとドラマなどでも聞き覚えのある、「誰かお客様の中でお医者さまはいらっしゃいませんでしょうか?もしいらっしゃいましたら、先頭車両までお越し願います」という車内アナウンスが流されました。
初めはホームから転落したか何かで人身事故が起こったのかと嫌な気持ちになりましたが、どうやら一番前の車両で急病になった人がいたらしく、簡易車いすを持った駅員やアナウンスを聞いて駆けつけた医師、看護婦のお陰で大事には至らなかったようです。
発車時刻が10分程度遅れたこともあり、JR岐阜駅に到着したのは15時43分でした。
最初に考えていた計画だと、15時50分に11番のりばから発車する岐阜バスの市内ループ線(左まわり)に乗らなければいけないため、駅周辺の様子も撮影しながら歩くことに。
JR岐阜駅の北口広場の様子。
天気は雲一つ無い快晴。正面には織田信長公の金の像があります。
駅周辺の様子ですが、6年前と比べてみるとやはり高い建物が多くなっているように感じました。前はもっと遠くの山々が見えていた気がします。
今夜のジェフ千葉の勝利を期待して、twitterで「勝てぬなら 勝たせてしまえ ホトトギス」と送信。(笑)
北口正面の階段を降りて時計まわりにぐるっと歩くと、「岐阜メモリアルセンター北」を経由する市内ループバス乗り場がありました。
岐阜市内から帰ってきたバスが、北側ターミナルに吸い込まれては観光客や地元住民の足となって散らばって出て行きます。
列の中にはジェフ千葉の黄色いユニフォームを着たサポーターの姿も。同志を見つけると心強くなりますね。
私たちが乗る左まわりの市内ループ線も定時に到着。
車体はFC岐阜のクラブカラーである緑色に、織田信長が描かれていて、まさにアウェイの洗礼といった感じ。6年前は岐阜城に観光に行くために「岐阜公園歴史博物館前」まで乗ったのですが、当時は酷暑の印象が強烈過ぎてどんなバスだったかまでは覚えていません。
バスの座席はまだまだ余裕があり、母親と私も座ることができました。
市内ループ線はどこまで乗っても210円の定額です。他には土日祝限定で1日乗り放題の1日乗車券(500円)もお得。
車内では、スタジアムキーワードとして「蹴穫祭(しゅうかくさい)」というキーワードが発表されていました。
バスに揺られること21分、16時11分に「岐阜メモリアルセンター北」停留所に到着。
「岐阜メモリアルセンター北」停留所は、JR岐阜駅から数えると16番目。(左ループの場合)
土曜日・日曜日の時刻表はこんな感じ。
道を挟んだ反対側にある右回りの市内ループバス乗り場には、メモリアルセンター内の施設を利用しに来た大勢の学生の姿がありました。
岐阜メモリアルセンター北交差点の様子。日曜日の夕方ということもあり、交通量は多め。
岐阜メモリアルセンター北交差点前にある、「セブンイレブン 岐阜長良福光西店」。
「岐阜メモリアルセンター前」停留所の様子。こちらも右回りの市内ループバスを利用する学生の姿がありました。
私達が先ほど降りた「岐阜メモリアルセンター北」停留所と、「岐阜メモリアルセンター前」停留所が交差するのがメモリアルセンター北交差点ということになります。
そして、後ろを振り向くと・・・。じゃーん ↑
16時20分、旅の一番の目的地である 「長良川競技場」に到着。
たくさんのバイクや自転車は、岐阜メモリアルセンターの「勝利の門」と呼ばれる入口付近に駐輪されている様子が伺えます。
勝利の門をくぐって真っ直ぐ100メートルほど進むと長良川競技場の正面入口があります。
つづく
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