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2015年10月27日火曜日

長良川競技場の歩き方 徹底攻略ガイド 愛知 & 岐阜旅行 その20



 犬山城天守閣の最上階(4階)には、成瀬家以前の城主が書かれた額と、歴代の成瀬家城主の人物画・写真が飾られていました。




 初代城主 成瀬正成 在位期間 元和3年(1617)~寛永2年(1625) 9年間、2代目 成瀬正虎 在位期間 寛永2年(1625)~万治2年(1659) 35年間、3代目 成瀬正親 在位期間 万治2年(1659)~元禄16年(1703) 45年間、




 4代目 成瀬正幸 在位期間 元禄16年(1703)~享保17年(1732) 30年間、5代目 成瀬正泰 在位期間 享保17年(1732)~明和5年(1768) 37年間、6代目 成瀬正典 在位期間 明和5年(1768)~文化6年(1809) 42年間、




 7代目 成瀬正寿 在位期間 文化6年(1809)~天保9年(1838) 30年間、8代目 成瀬正住 在位期間 天保9年(1838)~安政4年(1857) 20年間、




 9代目 成瀬正肥 在位期間 安政4年(1857)~明治2年(1869) 13年間、




 10代目 成瀬正雄 誕生 明治2年(1869)~卒去 昭和24年(1949) 享年81歳、




 11代目 成瀬正勝 誕生 昭和39年(1906)~卒去 昭和48年(1973) 享年68歳、




 12代目 成瀬正俊 誕生 昭和5年(1930)~卒去 平成20年(2008) 享年77歳。




 【高欄の間】 ここ4階は高欄の間といい、廻縁からの展望は素晴らしく、戦国時代の見張台及び司令塔であったとみられます。また、対岸は美濃国で、自然の断崖という天然の防備を持っています。(広さ 49.835平方メートル)





 天皇家が犬山城にご登閣された時の記念写真も飾られていました。


 高円宮妃久子様 平成24年4月29日




 美智子様 紀宮様 ご登閣 昭和54年11月7日




 礼宮様 ご登閣 昭和53年4月5日




 浩宮様 ご登閣 昭和44年4月4日




 常陸宮様 ご夫婦 ご登閣 昭和43年8月12日




 皇太子殿下 ご夫婦 ご登閣 昭和43年3月28日




 三笠宮崇仁親王殿下 ご登閣 昭和42年6月11日




 清宮貴子内親王殿下 御登閣 昭和29年




 従五位下 藤原朝臣 成瀬正成 出陣の勇姿




 名誉市長 成瀬正俊 平成6年4月23日




 天正12年3月27日 豊臣秀吉公




 小笠原和泉守吉次公之像




 平岩主計頭親吉公 慶長12年~16年 在位5年 慶長16年卒70歳




 南の方角から見える犬山城下町や、遠くの山々が描かれている風景画。




 天正末期の頃の犬山城より東方を望む風景画。




 天守閣4階(最上階)の部屋の様子。30分以上掛けて展示物や外の風景を見ることができ、犬山城を満喫することができました。




 入場口まで降りて行くと、これから登ろうという高齢者グループの中で明らかに足腰の弱そうなお婆さんがいて、「うわぁ~、こんなに急じゃ私怖くて登れないわ・・・」と独り言を呟いていたので、


 母親が、「これから一番上まで4回階段を登らなくちゃいけませんから、自信が無いなら登らずにここで待っていたほうがいいんじゃないですか?」と声を掛けると、




 「そうよねぇ、私の体力じゃ無理だから、みんなに迷惑を掛ける前に止めておくわ」と言って、同伴のグループが降りてくるまで入口で待っていることに。


 昨年、観光で行った長野県の松本城もそうでしたが、古来より現存している天守閣には便利なエレベータ等が無いため、体力に自信の無い高齢者の方は登らない勇気も必要だと感じました。




 入場口付近には、複数のお城を巡ってスタンプを集めると豪華賞品が貰えるスタンプラリー用のスタンプが置かれていました。




 13時01分、この旅最後の観光も終えたことから、前庭にある床机(しょうぎ)に座ってゆっくりすることに。




 母親も 「お城に登るなんて一生無いかも知れないから」と付き合って登ってくれましたが、先ほどのお婆さん同様、この旅の歩き詰めで相当疲れている様子。




 14時07分発の電車に乗ることにして、ただただ何もしないで疲労を回復させることに努めました。




 電車の時間も近づいてきたため、来た時よりも余計に見積もって名鉄・犬山駅を目指すことに。




 登りもきつかった石畳の道ですが、膝が笑っちゃうくらい疲れている足腰には下り坂の方が堪えます・・・。




 犬山城の黒門(くろもん)があったという場所まで歩いてくると、三光稲荷神社の鳥居の朱色が目に入ってきました。




 行きと同じくこの鳥居をくぐれば近いことは分かっていたのですが、違う景色も見たいということで敢えて正規ルートで帰ることに。




 ひたすら続く石畳の道は意外とフラットになっていて、雨の日や霜柱が立つような寒い日は足元がツルっと滑って危なそう。





 4分ほど歩いてようやく案内板まで来ることが出来ました。




 犬山城前広場の様子。本来ならここから登るのが正規ルートになっているんですね。




 犬山城前観光案内所の前では、記念写真を撮る観光客の隣で、よしもと所属の芸人さんが日替わりで人力車を引く仕事をしていました。(1000円で定員2名・所要時間15分)




 広場の前にはたくさんの食事処やお土産屋さんがあります。




 辺りの様子を見ていると、広場の西側に木製の大きな鳥居があるのが見えました。


 犬山神社は、初代城主である成瀬正成以降の歴代城主を祀るほか、戊辰戦争(1868年~)から太平洋戦争(~1945年)までの戦没者を祀っている神社。




 ここに来たのも何かの縁ということで、母親と共に参拝して帰ることにしました。




 広場の前では、それぞれの神社に参拝に来た人や犬山城の観光を終えた人達が入れ替わり立ち替わり通り過ぎていきます。





 お昼過ぎということもあって、犬山城周辺の観光名所を目指す観光客の姿もすっかり少なくなってきました。





 本町通りも、来る時は城下町の風情が見られて足取りも軽く感じられましたが、逆から見てみるとそういう雰囲気は感じられない普通の道に見えるから不思議です。

 
 つづく

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