フクダ電子アリーナ

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2016年11月8日火曜日

石川県西部緑地公園陸上競技場の歩き方 徹底攻略ガイド 金沢旅行 その5



 アウェイ側のSA自由席(ゾーン自由席)まで来てみると、ジェフ千葉のユニフォームに身を包んだサポーターの姿がチラホラありました。




 石川県西部緑地公園陸上競技場は、収容人数 20,261人を誇る石川県最大級の陸上競技場です。


 施設自体は石川県が所有し、指定管理者として「一般財団法人 石川県県民ふれあい公社」が管理運営を行っています。




 1985年には全国高校総合体育大会(インターハイ)のメイン会場、1991年には第46回国民体育大会(石川大会)・全国身体障害者スポーツ大会のメイン会場として使用されました。




 1995年にはJリーグの公式戦開催のためナイター照明施設を4基設置。




 1997年には当時バックスタンド及びサイドスタンドが芝生席だったものを現在の座席に変更。


 さらに、アウェイ側ゴール裏には大型映像装置を設置しました。




2002年には第86回 日本陸上競技選手権大会を、2008年にはラグビートップリーグの初開催や、エイベックスに所属するアーティストが一堂に会する夏の野外イベント「a-nation」が開催されたりしています。




 2013年10月からは3度目の大規模な改修工事として、サッカーコートとして使用する場合の予備エリアを確保するため、跳躍用の助走路と砂場をトラックの外へ移設することと、規定で定められているドーピング検査室の設置などを行いました。(~14年3月まで実施)




 さらに、今日の試合が終わった翌日(2016年11月8日)からは芝の張り替え工事が行われることがアナウンスされているため、




 仮にツエーゲン金沢がJ2・J3入れ替え戦にまわった場合、ホーム扱いの第2戦はJ3 カターレ富山の本拠地「富山県総合運動公園陸上競技場」での代替開催が既に決定しているのです。




 試合開始まで1時間15分となり、メインスタンド側はすっかり日陰になってしまいました。




 ここで、ツエーゲン金沢の歴史を振り返ってみましょう。




 ツエーゲン金沢は、1956年に創設された「金沢サッカークラブ」が前身で、1975年に開幕した北信越フットボールリーグに初昇格したのが1982年のこと。




 1990年、全国社会人サッカー選手権大会に初出場し、初勝利をあげました。




 1992年には天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場を果たしますが、1回戦でJリーグ発足前の日産FC横浜マリノス(現 横浜Fマリノス)と対戦し屈辱の0-8で敗北。




 2002年、全国地域サッカーリーグの決勝大会に初出場するも、TDK(現 ブラウブリッツ秋田)などと同じグループAに入り1勝2敗のグループ最下位で1次ラウンド敗退。




 そんな苦難の歴史が続く中、2004年、北信越フットボールリーグで悲願の初優勝を達成!ここから、ツエーゲン金沢としての時計の針が動き出していくのです。




 2006年、Jリーグ入りを目指すべく運営母体として「石川フットボールクラブ」が発足すると、クラブの名称を「ツエーゲン金沢」に変更。




 ちなみに、ツエーゲン(Zweigen)という名前の由来は、「チームとサポーターが共に進んでいく」ことを意味するドイツ語のツヴァイ(zwei=2)と、ゲーエン(gehen=進む)を合わせた造語。


 さらに、金沢弁で「強いんだっ!」という言葉の「つえーげん!」という二重の意味合いが含まれているそう。




 エンブレムのデザインは石川県の県花であるクロユリをモチーフとし、クラブのマスコットキャラクター 「ゲンゾー」は、県鳥のイヌワシをモチーフにしています。




 2007年、運営母体である「石川フットボールクラブ」を任意団体から有限責任中間法人へ移行すると、2008年にはホームタウンの一つである津幡町にサッカースクールを設立し、地域とサッカーの結び付きを強めると共に、組織を一般社団法人へと着実にステップアップ。




 2009年には、「第33回全国地域サッカーリーグ」の決勝大会において3位に入り、JFL17位のFC刈谷との入れ替え戦に進出。




 FC刈谷との入れ替え戦を1勝1分けの成績で突破し、翌年からのJFL昇格が決定。




 この年、クラブとしてはジュニアユースチームを発足し、地域に支えられ、地域に貢献し、地域に愛されるクラブ作りを推進させていきます。




 2010年4月9日にはJリーグの準加盟を申請、クラブは元日本代表のFW久保竜彦を獲得しチーム最多の9ゴールを挙げるも、14勝8分12敗の9位でJFL初挑戦は終了。12月15日、株式会社ツエーゲンを設立し、トップチームの運営を「石川フットボールクラブ」から移管しました。




2011年、上野展裕監督体制で臨んだ3シーズン目は、東日本大震災の影響でシーズン日程が変更される中、リーグ戦中盤には暫定ながらも首位に立つなどチームは躍進。




 ニュージーランド人ディフェンダー、マイケル・ジェームズ選手がクラブとして初めてA代表選手に選出されるなど活躍しましたが、チームは13勝8分12敗の7位でフィニッシュ。


 前年から申請していたJリーグへの準加盟申請は継続審議となってしまいました。




 2012年、ホームスタジアムの改修やクラブの資本金増資の遅延により、2012年2月に行われたJリーグへの準加盟申請はまたしても見送られてしまいました。




 それまであったクラブ事務所の場所をホームスタジアムである西部緑地公園そばのカフェ併設の事務所に移転し、開幕前に地元政財界人経営参加と運営会社に8千万円の増資が行われることが決定。




 クラブはアビスパ福岡の元ヘッドコーチ、森下仁之氏を監督に招聘しますが、シーズンを8勝12分12敗の14位とJFLに昇格してから最低の成績で終えました。




 2013年、チームスローガンを「団結エーゲン」とした森下仁之監督体制2年目、シーズン開幕前の2月に念願のJリーグ準加盟が承認されると、チームはJFLに昇格してからのタイ記録となる7位に大躍進。(14勝8分12敗)




 11月19日、日本プロサッカーリーグの理事会で、Jリーグへの入会と2014年シーズンからのJ3参加が正式に承認されました。




 2014年、森下仁之監督体制3年目のチームスローガンは、「やっぞ!! CHALLENGE OF ZWEIGEN 2014」に決定。




 ソニー仙台FC元監督の田端秀規氏を強化部長に置き、Vファーレン長崎の元監督だった東川昌典氏をアカデミーダイレクター及びユース監督に就任させたツエーゲン金沢は、Jリーグでの出場経験のある選手が多数加入。




 AC長野パルセイロ、FC町田ゼルビアらと昇格を争ったリーグ戦は、第21節から引き分けを挟んで7連勝を記録、その後のシーズンを13試合負けなしと2位以下を大きく引き離すと、




 11月16日に行われた第32節のFC琉球戦で念願のJ3リーグ優勝!11月19日に開かれたJリーグ理事会において、2015年シーズンからのJ2昇格が承認されました。




 Jリーグへの準加盟申請から5年、J3加入からわずか1シーズンでJ2まで駆け抜けて行くこととなりました。

 (つづく)

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