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2016年11月8日火曜日

石川県西部緑地公園陸上競技場の歩き方 徹底攻略ガイド 金沢旅行 その12



 金釼宮(きんけんぐう)が日本全国にその名を知らしめたのは、2006年に船井総研の創業者 船井幸雄氏が金運のパワースポットを紹介した際、「富士山の2合目にある新屋山神社の奥宮と石川県にある金釼宮」と言ったのが最も有名なエピソード。




 船井氏によると、「金釼宮はマイナスイオンが多い場所で、とても強いエネルギーが満ち溢れていることから、思いも寄らない素晴らしい出来事が起こる」らしく、




 氏の「お金に困りたくなかったら、ここを御参りするといい」という発言を受け、全国の大手企業の経営者や財界の実力者もこぞって参拝に訪れるという日本屈指の金運のパワースポットだそう。




 こちらの金釼宮、噂に違わぬご利益が授かれるということで、日本三大金運神社としても名を馳せており、富士山の2合目に鎮座する新屋山神社の奥宮と、こちら石川県の金釼宮、そして最後の一つが千葉県館山市にある安房(あわ)神社とのこと。


(金釼宮 拝殿の左奥にある、招魂社 御英霊)


 ひょえ~、日本三大金運神社の一つが千葉の館山にあったなんて全然知らんかったぁ~。今度行こ。(笑)




 それではパンフレットより、金釼宮の由来を以下に引用したいと思います。




 崇神天皇三年(紀元前九十五年)の創建と伝えられ、釼集落の発生と時を同じくして、鎮斎せられた。


(県道103号線を上がった境内正面のすぐ左には手水舎がある)


 古くは「釼宮(つるぎのみや)と称し、明治以降「金釼神社」の社名が用いられた。




 また金釼神宮、金釼明神、釼明神などとも称される時期もあったが、現在は宮号に復し、「金釼宮(きんけんぐう)」と称している。


(丈六神社 釈迦牟尼仏)


 「鶴来」という地名の文字は、江戸時代の元禄以降使用されたものであり、元来は「釼」または「剣」と記したことから、社名と地名が一致した代表的な事例といえる。


(粟島神社 少彦名神)


 神社は鎮座地を動くことなく現在にいたっている。


(金刀比羅社 崇神天皇)


 「白山記」「源平盛衰記」などによれば、金釼宮は古来白山七社の一つに数えられ、白山本宮、三宮、岩本宮とともに本宮四社とされ、白山第一王子と称されている。


(天平時代から続き、夏も涸れない「天の真名井」 田霧姫命)


尚武の神、身命守護、生業繁栄の神として信仰が篤く、寿永二年(1183年)木曾義仲が倶利伽羅谷合戦の大勝を奉謝し、鞍置馬二十頭を寄進している。


(恵比寿社 事代主神)


 また文治三年(1186年)には、奥州へ向かう源義経が、金釼宮に参拝し、夜もすがら神楽を奉納したと「義経記」に記されていて、義経奉納の太刀一口があったとの口伝がある。




 明治時代の神社制度確立で、明治二十八年(1895年)には県社となった。




 明治三十九年(1906年)十二月に、新町の恵比寿社、古町の大国社、知守町の日吉社、日詰町の大鳥社の四社が合祀され、同四十一年、日吉社、井守社、金刀比羅社の境内三社、

 大正三年(1914年)の十二月には日吉町の日吉神社(大山咋命)が合祀されている。


(乙釼社 彦炎出見尊)


 現在境内には七社が祀られており、境内七ヶ所のパワースポット巡りをされる人が多い。




 金釼宮の神階叙位は寛弘四年平安中期の一〇〇七年に正一位に叙せられている。




 この時から「五・七の桐」は当社の社紋として使用されている。


 また、この紋は、明治維新から伊藤博文が日本政府及び日本国総理大臣の紋章として使用し、今に続いている。

 (引用 終了)




 金釼宮の境内をくまなく歩くこと15分、ここでいよいよ社務所に行って絵馬や御守りを授与してもらうことにします。


 社務所は正面にある拝殿の右側にあり、普段は戸が閉められているので宮司さんの姿も見えません。




おそるおそる戸を開け中に入るも人の姿は見えず。勇気を出して「すいませ~ん、どなたかいらっしゃいませんか?」と声を掛け待っていると、




 しばらくして授与所の奥から宮司さんが顔を出しました。「あの~、御守りと絵馬を貰いたいんですけども・・・」


 「ああ、いらっしゃい。御守りはこちらにあるんですけども、どれも500円になります。」




 「それじゃ、金運守り3つと健康守り3つと厄除け1つと絵馬1つ頂けますでしょうか?」


 私がお金を払おうとすると、宮司さんが「こちらに参られる方は金運のお守りの他にこちらも付けて最強セットで買われる方がほとんどなんですけど、どうします?」

 
(こちらの地下通路は7つ目の岩清水薬師不動尊へと続いています)


 「へ? 最強セット!? 最強セットで何々ですか?」と私が頭にはてなマークを浮かべているのを見た宮司さんが、


 「最強セットっていうのはですね、こちらの三種の神器がキーホルダーになったお守りなんですよ。三種の神器はご存知ですよね?鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮、勾玉(まがたま)は皇居にあるんですけどね、それのレプリカのお守りなんですよね」




 さらに詳しくお守りの説明を始めようとする宮司さんの話を遮るように、「買います!買います!」と私。(笑)


 一緒に買った絵馬に願い事を書いている途中、気になることがネットに書いてあったので聞いてみることに。




 「あの~、こちらに参拝したことがあるっていう人がブログで、金釼宮って拝殿の奥に本殿があるんじゃなくて、正面の拝殿を左に行ったところが本殿だって書かれていたんですけど?あそこの」


 旅行に来る前に読んだブログの内容を得意げに宮司さんに話しかけると、「いや、あれは招魂社と言って本殿じゃないですよ。本殿は正面の拝殿の奥にちゃんとあります」




 そう言ってUさんと私に一部ずつパンフレットを渡して境内の図を見せてくれました。




 すると、拝殿の奥にはちゃんと本殿が描かれており、その両脇には軟石製の一対の狛犬が祀られている様子が描かれていました。
 



 「あぶね~、危うく間違った情報を信じて参拝するところでした・・・」と私。


 パンフレットを良く見ると、本殿とは別に赤で書かれた6つの数字が目に入ったので、宮司さんに「これって境内の中に6人の神様がいるってことなんですか?」と聞いてみると、




 「そうなんですよ。知らない方は正面の拝殿だけお賽銭を入れて参拝して帰っちゃう人がたくさんいるんですけどね、本来は境内にいる6人の神様全てにお参りしないとご利益が弱いんですよね」




 「ああ、それと、そこの地下通路を降りてしばらく行ったところに、岩清水薬師不動尊と言って7つ目の神様がいますのでそこも忘れずにお参りして行ったほうがいいですよ」




 うわ~、これも知らんかった・・・。あぶねぇ~、ここまで来て何も分かっていなかったことを猛省すると同時に、何気に宮司さんに声掛けて本当に良かったと思いました。




 そうと分かれば行動あるのみ!拝殿と招魂社にはすでに参拝したから、あとは5人の神様にお賽銭を入れてお参りをしてこなければいけません。




 後から来た参拝者の間をすり抜け、一番奥にある粟島神社からUさんと一緒に一ヵ所ずつ丁寧に参拝し直しました。




 岩清水薬師不動尊へは県道103号線の下を通り抜ける地下トンネルを使って行くことに。




 南参道脇にある不動滝(往時修験者修行の滝)から落ちる水の音を聞きながら、金釼宮の全ての神様に願い事を言い終えた頃には、かれこれ40分以上の時間が流れていました。




 時刻は9時32分。




わずか40分ちょっとの滞在ながら、北参道の石鳥居をくぐり抜けた時には言葉に表せないくらい清々しい気持ちでいっぱいになりました。




 行きに通った道をひたすら戻ります。Uさんの足も心なしか軽やか。




 徒歩10分の道のりを歩いて、ようやく北陸鉄道 石川線 鶴来駅に到着。




 こちらの鶴来駅は縁結びの神様で有名な白山比咩神社の最寄り駅にもなっているのですが、月曜日の午前中とあって、ターミナルに停まっているタクシーの運ちゃんも座席を倒してお昼寝中。




 ポカポカした日差しの中、Uさんと私にはとてもゆっくりした時間が流れていました。

 (つづく)

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