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2017年11月13日月曜日

豊田スタジアムの歩き方 徹底攻略ガイド 豊橋旅行 その19



 霊狐塚に続く一の鳥居まで歩いて来ると、樹齢何年か?というくらい空高くそびえ立った木々が、豊川稲荷のどの場所とも違った荘厳な雰囲気を醸し出します。




 参道の両脇には所狭しと並べられた千本幟(のぼり)が奥の方までひたすら続いていました。




 「奉」や「献」、又は「納」と書かれた台石の上に置かれた石像の狐(きつね)は、形や表情が一つ一つ違っていて、それを見るだけでも楽しくなります。




 ちなみに、参道の両脇に置かれた狐様が咥えているものはそれぞれ違っていて、左の狐様が咥えている筒状のものはお経、右の狐様が咥えている丸いものは宝珠なのだとか。




 奥へと進むにつれ、高い木々に光を遮られているせいか、木の根元や台石にはコケが生い茂っているものが多く見られるようになってきました。




 現在、約1,000体の狐の石像が安置されている霊狐塚ですが、元々は信者が祈願成就したお礼として奉納したのが始まりと言われています。




 「いつ頃からここに集められたのか、はっきりとは分かっていません」と話す、妙厳寺侍真(じしん)和尚の坂田正悟さんですが、江戸時代の文書には「狐塚」を示す記述が既に残っているそう。




 1975年に中央にある一対の狐像が建てられましたが、当時、撮影された写真ではまだ周りに狐像は並んでいませんでした。




 ただ、侍真(じしん)和尚が豊川稲荷に来られた1980年当時、ここは昼間でも薄暗い場所だったそうで、実際、この辺りの雑木林には狐が生息していたとのこと。


 「霊狐塚尊天堂」が現在の形に整備されたのは1988年になってからで、その頃までには少しずつ狐像が持ち寄られるようになり、今日のような姿になったということです。





 ちなみに、狐像を奉納したい場合は境内にある受付所で申し込みをし、小型の像なら一体8万円ほど。


 制作は昔から愛知県岡崎市の石工が担当し、今は同市にある杉本石材店が請け負っています。(制作には小さいものでも約1か月要する)




 素材は岡崎産の御影石で、粘りがあって欠けにくいという特徴があるそう。


 豊川稲荷に奉納する狐の像は、尻尾が大きく目がそれほど鋭くない特徴があり、「やさしい顔に」や、「凛々しくして」等といった要望を聞き入れ、一体一体微妙に変化させているとのこと。





 二の鳥居をくぐり、石の階段を上がると賽銭箱がありました。こちらの賽銭箱も含め、自然の樹木以外は全て石で出来ているのが特徴的。


 Uさんの御参りが終わり、賽銭箱に小銭を入れようとポケットを探ったのですが、これまでいくつも投げ入れていたことで、小銭自体が全く無くなってしまっていました。




 まぁ、滅多に来ることの出来ない場所ということもあり、ここはケチらずお札を入れることに。(願い事が一つでも叶うなら安いものです)


 御参りも無事終わり帰ろうとしていると、左にある岩場に子供がよじ登っていました。




 後で知ったことですが、岩の隙間に挟まれた硬貨を木の枝などでほじくり出すことが出来れば、金運がもたらされるという言い伝えがあり、


 取り出したお金をお守りとして持っておき、お金が儲かった際には、お礼に数倍の硬貨を再び岩の隙間に納めると良いらしい。(だからみんな必死になって岩を覗いてたのか~)




 霊狐塚を離れ、参拝順路に歩き進めると、「奥の院」と「納付堂」の案内板が出てきました。




 空高くそびえ立つ木々の奥に、ひっそりと佇んでいるのが「奥の院」。




 しかし、数十歩近づいただけで先ほどとは存在感が全く違って見えました。




 奥の院は文化11年(1814年)の建築で、昭和5年に行われた大本殿の新築に伴い、旧本殿の拝殿を奥の院拝殿として移築したもの。




 この建物は春・秋の祭典の行事が行われる霊殿で、信者の諸人が至心(ししん)を凝らして参拝し、読経礼拝されます。




 拝殿の諸処に見られる種々の彫刻は、名匠諏訪ノ和四郎の一代の傑作と言われています。




お札納め所である「納付堂」を過ぎると、千本幟(のぼり)の受付所が見えてきました。


 千本幟(のぼり)の奉納料金は2,000円、他に諸堂新築の寄付を募ったり、幸せを呼ぶ開運おみくじ(200円)が販売されていました。





 千本幟(のぼり)受付所を後にし、目の前に現れたのは「景雲門(けいうんもん)」。




 奥の院参道の中間にあり、安政5年(1858年)の創建で、旧奥の院拝殿を昭和5年の大本殿の御開帳に際し、現在地に移転し、景雲門と名付けられました。




彫刻は名匠諏訪ノ和四郎の作で、巧麗(こうれい)をきわめています。




 景雲門の大提灯をくぐると、境内でまだ行っていないのは最祥殿のみとなります。




 最祥殿とは昭和4年竣工総檜造りで、間口十三間(23・6メートル)、奥行二十六間(47・27メートル)の日本式大建築物で、内部は四百畳敷きとなり講中、団体などの御信者約千有余人の接待ができる大座敷です。




 当山二十九世黙童禅師の揮毫による「此處最吉祥(ここ さいきっしょう)」の大額が正面に掲げられているので、この建物を最祥殿と読んでいます。


 この他、中小の建物があり、参詣(さんけい)の御信者に法悦を味わっていただくことができる設備が甍(いらか)を並べて建っています。




 おっと、ここまで来てお守りを買い忘れる訳にはいきません!


 まずは今回の旅の目的でもある商売繁盛のお守りと、金運守り、それと健康運を上げるためのお守り、さらに「豊川守」と刺繍された万能に通じるお守りがあったので、この4種類のお守りを弟の家族のために買いました。(万能があるならそれ一つでいいんじゃね?笑)




 後は今年の5月に大病が見つかった母親のために、金運守りと健康を上げるお守りを買いました。


 私の分は同じく金運守りと健康を上げるお守りを購入。(私の場合は健康が全てのカギを握るかも)




 参道を一の鳥居に向かって歩いていると、豊川稲荷の境内で唯一のお財布や御守りを売っている露店がありました。


 初めにパッと目に飛び込んできたのが「ガン封じ」という御守り。母親の大病は乳がんだったので、これは!と思い一つ購入。




 後は、金色のちっちゃな七福神が全て繋がれている「七福神守り」というのがあったので、これも見つけてしまった流れで3つ(みんなの分)を買うことに。




 露店の左脇に人一倍目立つ格好で存在していたのがこのデカい金色の熊手。


 これを買えば願い事全部叶うんじゃね?というくらい立派な代物で、金額はなんと5,000円!(これから観光するのにジャマっす。笑)




 ちなみに、後で知ったのですが、御守りやおみくじを購入するのにも正しい順番というものがあるそうで、御守りは拝礼で願をかける際に願いを込めるための器として必要なので、拝礼の前に買うのが良いとのこと。




 一方、おみくじはお参りに対する「神様からのお返事」ということで、拝礼後に引くのが良いと言われているそうです。


 私の場合は拝礼前にお守りを買うと荷物になってしまうので、今までは必ず最後にお守りを買っていました。(器が無いのに神様にお願いしてたなんて・・・)




 時計を見ると時刻は10時45分を過ぎていました。(1時間40分もいたのか~)




 次に向かうは「桜ケ丘ミュージアム」ということで、総門を出て左の方向に歩いて行きます。




はじめに豊川稲荷の外周を歩いたのとは逆に、反時計回りに歩いて行くと、「秋葉神社」という延命地蔵尊と書かれた本尊が現れました。


(途中、延命地蔵菩薩と書かれ地蔵が建っていました)




 「ビアシティ 東和桜木」というグレーのマンションを左折。




 「旅館 さくら荘」と、稲荷公園の間の道も颯爽と通過。(笑)




 車両進入禁止の道を通り抜け、末広通2丁目を「勢川(せがわ) 豊川店」に向かって歩いて行きました。


 つづく

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