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2014年11月10日月曜日

アルウィンの歩き方 松本平広域公園総合球技場 徹底攻略ガイド その3



 国宝・松本城の歴史


 創始


 松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた深志城が始まりです。




 戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏が、館を東の山麓の林地区に移すと、




 その家臣らは林城を取り囲むように、支城を構えて守りを固めました。


 深志城もこの頃林城の前面を固めるために造られたのです。




 その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点としました。




 その後、天正十年(1582)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。




 天守築造


 豊臣秀吉は天正十八年(1590)に小田原城に北条氏直を下し天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。




 この時、松本城の小笠原氏は家康に従って下総へ移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じました。




 数正・家長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、家長の代には天守三棟(天守・乾小天守・渡櫓)はじめ、




 御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを造り、本丸・二の丸を固め、三の丸に武士を集め、




 また城下町の整備をすすめ、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。




 天守の築造年代は、家長の文禄二年から三年(1593~4年)と考えられています。


 以上 公式パンフレットより引用。




 天守閣が国宝に指定されているお城は全国に4つあり、Uさんと私は過去に兵庫県の姫路城、滋賀県の彦根城に行ったことがありますが、




 今回、松本城を観光して思ったのは、外観の素晴らしさはもちろんのこと、天守閣に上がるまでの床の光沢や、柱の匂いなど、当時のままの状態を体感出来たことが良かったです。




 また、実際に上ってみて分かったことですが、当時のままの階段の急さに苦戦している年配の方もたくさんおり、階段付近ではどうしても長蛇の列になってしまいます。




 さらに、たくさんの観光客が乗り降りすることで階段の表面はかなり滑り易くなっているため、横にある手すりをしっかり持って、頭をぶつけないように降りていかなければなりませんでした。




約25分の観光を終え、帰り際に「管理事務所」の中に入ると、すぐ左に日本100名城の専用スタンプが置いてあり、晴れて17城目の記念スタンプをゲットすることが出来ました!


 続く

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