今シーズンのジェフを語るには、時計の針を1年前に戻さなければなりません・・・。
関塚隆監督体制3年目の2016年シーズン。ジェフ千葉はチームスローガンを「REVOLUTION -NEXT 25-」として闘うことになりました。
2016年シーズンはジェフ千葉にとってクラブ設立25周年を迎える節目の年。
チームの成績が上がらなければすぐに監督を交代していたジェフ千葉。その度にこれまでの積み重ねたものがゼロに戻り、継続という言葉とは無縁だった体質を反省し、
「継続すべきは継続し、改革すべきことは改革しなければならない。そして、2016年から次の25年に向けてスタートする(革命を起こすという)意味を込めて、今シーズンのスローガンをREVOLUTION -NEXT 25-」に決めました。と新体制発表会の場で前田英之社長は高らかに宣言しました。
ジェフ千葉のことを詳しく知らない他チームのサポーターにとっては、ジェフはJリーグ発足当初からのオリジナル10で、親会社もかつてのサッカーの名門・古河電工とJR東日本が母体ということもあり、J2リーグの中でも財政面では圧倒的に有利な立場にあると思われるかも知れません。
しかし、2009年シーズンにJ2に降格してからは、「どうせJ1に戻ればスポンサーも観客数も増えるんだから・・・」という安易な考えのもと、選手の実力に合わない年棒で契約したり、
前チームでまだ契約の残っている選手を引き抜くために高額な移籍金を払って、言わば、クラブの人件費を前借りするような形で選手をかき集めている現状が分かったのです。
悪しきクラブ経営を断ち切るべく、ジェフ千葉は前年までJ1ヴィッセル神戸でチーム統括本部長の任に就いていた高橋悠太氏にクラブの再建を託しました。
高橋悠太氏は1981年生まれの34歳。出身地は千葉県千葉市で、八千代高校→早稲田大学という学歴は関塚隆監督と同じラインになります。
高橋GMが最初に始めたこと、それは「原点回帰」でした。クラブの収入に見合った、身の丈に合った経営と地域密着という原点です。
高橋GMは多くのメディアを使ってクラブの現状をオープンにしました。現在、所属している選手をこのまま残せば、来年も再来年も償却費が必要になり、実質的な選手に人件費を掛けられないということ。
また、J2に降格して初めて昇格プレーオフ進出を逃したこと(シーズン最終成績は9位)で、チームの雰囲気は最悪になっていました。
そんなクラブの現状を目の当たりにした高橋GMは、同い年で共に千葉県選抜としてボールを蹴り合った仲でもある佐藤勇人選手に救いを求めました。
勝者のメンタリティーが確立しているクラブには伝統としてきっちりした上下関係があるもの。
そういったものが希薄になり、若い選手が先輩に対してリスペクトが無かったり、目上の選手が若い選手に対して意見とか注意とか、選手として大事にしなければいけないことを言えない雰囲気を変えたかったのです。
「勇人は一番初めにクラブに残ると真っ先に決断してくれて・・・」そんな佐藤勇人選手をチームリーダーとして、本当にジェフを強くしたいという思いの強い選手だけでチームを作ることを決意。
そこで、チームの軸として考えていたDFのキム・ヒョヌン選手や同じくDFの大岩一貴選手に来季の契約延長のオファーを出すも、これまでの負の遺産が高橋GMを苦しめます。
「過去の契約の結び方のせいで、J1からのオファーだったら無条件で出て行っていいとか、契約を残したいけど切れてしまう形になっているとか、そういうことが乱発していた」とその時の状況を赤裸々に明かしました。
その結果、DFのキム・ヒョヌン選手はアビスパ福岡に、大岩一貴選手はベガルタ仙台に移籍することになってしまいました。
さらに財政面の健全化を推し進め、ネイツ・ペチュニク選手が大宮アルディージャ、水野晃樹選手がベガルタ仙台、森本貴幸選手が川崎フロンターレ、
パウリーニョ選手が湘南ベルマーレ(期限付き移籍)、松田力選手が名古屋グランパス(レンタルから復帰)へと大幅な入れ替えを断行。
チームを去ったのは主力を含む24名となり、ジェフのクラブ史上最も入れ替えの多いオフとなったのです。
15年オフ、これまでの轍を踏まぬよう高橋GMは契約の方法について見直しを図ることにしました。
それまで、実力があると認められれば前クラブでの契約が残っていても多額の移籍金を払って獲得していたやり方を改め、選手の給料に返ってこない部分の支出(移籍金)を極力支払わず、契約満了になった選手を獲得する方針に変えたのです。
「これまでのやり方は移籍金に多くの人件費が割かれ、選手に相応の給料を払おうにも払えない状況に陥ってしまっていました」と高橋GMは当時のことを語りました。
多くの選手が退団していく中で、新たに獲得したい選手には、チームに対する「愛」、地元に対する「愛」の部分を強く求めました。
「リストアップした選手にオファーを出して会うと、千葉出身の選手はジェフに対する気持ちをどこかに持っている選手が多かった」
「優先順位として、気持ちが強い選手を集めたいという中で、千葉出身の選手が多くなった。どちらの選手を取るか迷った時は、千葉に対する気持ちがある選手を取ろうとも思っていた」と語ります。
その結果、新加入選手19名の獲得にかかった移籍金は、川崎フロンターレとの契約を残していた、FW 船山貴之選手を完全移籍で獲得するのにかかった約500万円のみ。
残る18名は移籍金0円での獲得となりました。
新たにジェフ千葉のユニフォームに袖を通した選手は、ヴァンフォーレ甲府から阿部翔平選手、水戸ホーリーホックから吉田眞紀人選手、大分トリニータから若狭大志選手、
川崎フロンターレから山本真希選手、横浜FMから比嘉祐介選手、ベガルタ仙台から多々良敦人選手、横浜FCから小池純輝選手、柏レイソルから近藤直也選手、東京ヴェルディから佐藤優也選手、松本山雅FCから大久保裕樹選手を完全移籍で、
サガン鳥栖から藤嶋栄介選手、東京ヴェルディから菅嶋弘希選手、浦和レッズから長澤和輝選手を期限付き移籍で獲得。
ジェフ千葉U-18からは岡野洵選手が昇格し、新外国人選手として栃木SCから移籍してきたイ・ジュヨン選手、パラグアイ代表のアランダ選手、ブラジル人FWのエウトン選手の合計19名が入団するに至りました。
そして迎えた2016年シーズン。
キャンプ期間中に行われたニューイヤーカップでいきなり優勝!賞金300万円を獲得し、2月14日にフクアリで行われた「第21回 ちばぎんカップ」ではJ1の柏レイソルに対して3-0と圧勝。
「自分達の目指しているサッカーは間違っていない」
開幕から4試合を3勝1敗と順調なスタートを切ったジェフでしたが、第5節のザスパクサツ戦を引き分け、続く第6節のセレッソ大阪戦は1-2で敗戦。
第7節のツエーゲン金沢戦には勝ったものの、第8節から5試合連続で勝ち星なし。
その間にもライバルチームは勝ち点を伸ばし、シーズンの半分を消化した第21節時点で勝ち点29の9位と、昇格プレーオフ圏内の6位にも遠く及ばず。
原因は明確で、シーズンが進むにつれジェフの戦術が他チームに分析され、その打開策が見いだせないまま、選手を大量に入れ替えたチームは一つにまとまることなく沈んでいったのです・・・。
チームを率いて3年目の関塚隆監督への求心力も弾けた第25節、ホームフクアリで行われた vs 清水エスパルス戦を大接戦の末落とすと、クラブは関塚隆監督から指揮権を剥奪。
クラブの財政面を立て直している現状では解任するとお金が掛かってしまうため、チームの指揮は長谷部茂利コーチに執らせ、関塚隆監督を解任せずにシーズン終了まで飼い殺しにする苦渋の決断を下しました。
長谷部茂利監督も全てを賭けてチームの再建に心血を注ぎましたが、一度狂ってしまった歯車を元に戻すことは出来ず、13勝14分15敗の勝ち点53、クラブ史上最低の11位で終戦となりました。
私も全てのホームゲームを観戦し、誰一人として手を抜いている選手などいなかったこと、関塚隆監督も長谷部茂利監督代行もコーチの方々もJ1昇格という目標を達成するために全力を尽くしたことは理解しています。
ただ、シーズン当初の期待が大きかった分、シーズンを重ねていく中での失望も大きくなっていったというのも正直な気持ちです。
高橋GMのビジョン、それに賛同してジェフのユニフォームに袖を通してくれた選手には感謝しかありませんが、やはり他のチームが何年も掛けてチームを熟成させているのに比べ、
選手一人一人の能力はJ2リーグの中では高くとも、チーム戦術の熟成やお互いのプレースタイルへの理解など、時間を掛けなければいけない部分は誤魔化しが効かないということを実感したシーズンでした。
高橋悠太GMの1年目は残念な結果に終わりました。ただ、今まではその場しのぎでやっていたクラブ運営が、前田英之社長以下、一つの方向性に向かって光が射したのを感じたシーズンでもありました。
クラブの財政面が整理されつつある2年目、彼はどういった手を打ってくるのか?
2017年シーズンは、ジェフ千葉が長いトンネルからようやく這い上がる「意地」を見せられるのでしょうか?
つづく
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