それでは、豊川稲荷奥の院に続く堂塔伽藍(どうとうがらん)を参拝順路に沿って紹介していきましょう。
本殿から奥の院参道、裏門にかけてぐるりとはためく幟(のぼり)は、全国より参拝にみえた御信者方が奉納されたもので、その数の多さから通称「千本幟」と呼ばれています。
こういう光景、どこかで見たと思ったら京都・伏見稲荷大社の千本鳥居がバーンと脳裏に甦ってきました。・・・と言っても実際には行ったことが無いのでTV等の映像なんですが。(笑)
ちなみに、千本幟の受付所は奥の院正面にあり、奉納料は一体2,000円になります。
しばらく歩くと、その真っ白な姿が印象的な「宝雲殿(ほううんでん)」が見えてきました。
宝雲殿は十三尊仏を祀り、檀信徒(檀家や信者)各家の先祖諸精霊牌を安置し、供養の法要を行う建物です。
春秋の彼岸法要、お盆の施食供養、更に随時、檀信徒の先亡精霊の法要、その他の仏事が行われています。
なお、十三仏とは、不動明王(ふどうみょうおう)、釈迦牟尼如来(しゃかにょらい)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、薬師如来(やくしにょらい)、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、勢至菩薩(せいしぼさつ)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、阿閦如来(あしゅくにょらい)、大日如来(だいにちにょらい)、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)のことをいいます。
宝雲殿を過ぎ、右手に三重の塔が見えてくると、裏門に続く道に供養塔への看板が出てきました。
豊川稲荷の敷地に入る前、時計回りに外周を一周しましたが、その時の「豊川海軍工廠(こうしょう)戦没者供養塔」がこの看板のことなので、供養塔を見ていた時はここに続く裏門があるなんて全然気が付きませんでした。
こちらは「禅堂(万燈堂)」で、文久3年(1863年)9月に建立された間口十三間(19・9メートル)、奥行七間(14・5メートル)の構造で、その名の如く参詣(さんけい)の諸人が信仰の心を、分に応じて或は一燈を、或は万燈に具現して献じ供養する霊堂である。
正面には豊臣秀吉公の念持仏と伝えられる不動明王及び、文殊菩薩の像が奉祀(ほうし)されている。
又、禅堂として座禅修行の道場である。
万燈堂の正面まで来てみると、大本殿の次くらい参拝者で賑わっていました。
どうしてかな?と辺りの様子を伺ってみると、「南無大聖不動明王」と書かれた幟と共に、「七福神みくじ」と書かれた黄色い幟が見えるじゃありませんか!
誘い込まれるように中まで進むと、「大きな福が舞い込む 七福神みくじ」200円と書かれた看板が目に入ってきました。
・・・とその前に、こちら万燈堂の本堂に手を合わせなければ。
万燈堂でお賽銭を投げ、この旅の安全を祈念した後、おみくじを買おうとリュックの中を漁ってみたものの、小銭が全然見つかりません・・・。
人から借りたお金でおみくじをやるのも何か違う気がしたので、リュックの中に入っている物を一つ一つ出して中を確認していくと、あった!奥の方に100円玉が何枚か入っていました。(良かった~)
ここ豊川稲荷は商売繁盛のパワースポットなので、弟の会社が上手くいくようにと願って一つ引きました。
それともう一つは自分の金運アップのため!(笑) 何事も欲をかき過ぎちゃダメだということは分かっているんですが、せっかくここまで来たということで大目に見て下さい・・・。
こちらの七福神みくじ、おみくじと共に金色に輝く七福神(どれか一つ)の御守りが入っているため200円という金額になっているのです。
七福神とは、布袋(開運・良縁・子宝の神様)、毘沙門天(勝負事の神様)、弁財天(学問と財福の神様)、恵比須(商売繁盛の神様)、福禄寿(福徳と長寿の神様)、大黒天(豊作の神様)、寿老人(長寿と幸福の神様)。
まずは弟の会社を祈念して引いたおみくじは「末吉」。
中に入っていたお守りはというと・・・なんと、商売繁盛の神様である恵比須様!
「困難こそが成長の糧である」と記され、困難を克服した時の喜びは、本当に努力した者にしかもたらされないものなので、それを乗り越えられた時に特別な幸福感で満たされ、新たな力を備えているでしょう。
商売においては「二兎を追うものは一兎も得ず」と書かれていることから、一歩ずつ着実に進んでいくことが良いようです。
帰ったらおみくじの結果と共に、黄金に輝く恵比須様のお守りをプレゼントしてあげようと思います。
次に自分の分として引いたおみくじの結果はというと・・・なんと、大吉!!
中から出てきたお守りは・・・こちらもなんと!恵比須様でした!(ダブル恵比須様)
記されていたのは、「一人じゃない」。なにかめちゃくちゃ意味深な言葉。
人は誰かと関わらなければ生きてはいけません。家族・友人・職場の仲間などは勿論のこと、立ち寄ったお店の人、自分が使う物を作った人など、自分に関わり、支えてくれるたくさんの人がいることを忘れずに過ごしましょう。
健康・・・心配無用。(ホッ) 仕事・・・準備を怠るな。良き結果が待つ。
勝負・・・逆転の見込みあり。見逃すな。(もしやこれはジェフのことか?)
商売・・・千客万来。 願事・・・あせるな。後に𠮷運が待つ。
大本殿の横で引いたおみくじにも書いてありましたが、先祖に感謝し、周りの人に感謝し、自分に出来る準備を怠らなければ、後に願事が叶う。
そう解釈し、来年のアウェイ旅行でおみくじを引く時までの時間を過ごしていきたいと強く思いました。
こちらは、「弘法堂」。俗にいう御自作弘法大師を祀っているお堂で、現在の姿は昭和5年春に改築されたものです。
左の立て板には「おびんずる様を叩かないで下さい」と書かれていますが、まさか、右に立て掛けられている木魚で叩いてしまう人などいるんでしょうか?
わざわざ書かれているということは、実際に叩いてしまう人がいるということなのでしょうが、普通に考えてバチが当たるとは思わないんでしょうかね~。
紺色の幕には、「感謝報恩」、「祈願成就」、「厄難消除」、「良縁成就」、「心身健全」、「交通安全」と書かれ、
これらのご利益を祈願したい場合は、弘法大師 ご宝号(お唱えの言葉)として、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と7回繰り返しながら唱えると書かれていました。
弘法堂を通り過ぎしばらく進むと、何やら人だかりが出来たお堂が見えてきました。
正面まで来てみると、一面を白く塗られた特徴的な外観に、金色で「大黒堂」と書かれた建物が。
そして、両脇には打ち出の小槌を持った大黒様の姿が目に飛び込んできました。
・・・あれ? この景色、どっかで見たことある!なんだったけ?
あっ、そうだ、前にスピリチュアルを扱った全国のパワースポット特集で、金運が最強レベルに凄い場所だってやってたところだ!
江原啓之さんだか、手相芸人の島田秀平さんだかが「もの凄くパワーを授かれる場所」としてテレビで紹介してた場所だった。(あの時は東京・赤坂にある豊川稲荷 東京別院だったかな?)
中日新聞の2012年1月29日の記事が張り出されるくらい、全国的にも名の通ったパワースポットだったんですね~。
右側に建っている大黒天の石像は、体のあちこちが削られていて何だか痛々しい。
実はこれ、「コインなどで削って財布に入れると良い」という迷信を信じた人々の仕業だそう。
中日新聞の記事に目を通してみると、広報の山本さんは、「仏様の体を削って、いいことがあるはずがありません。撫でるだけにして頂きたい」と書いてありました。
ここにお参りに来る皆さんは、くれぐれも大黒様を傷つけることの無いようお願い致します。
左に建っている大黒天は右のものに比べると体の部位を削られている様子も無く、痛々しい感じはありませんでした。
ただ、みんなの切なる祈念か? 顔やお腹がテカテカになるくらい触り磨かれている様子が伺えました。
ちなみに、遥か昔から建立されていた歴代の大黒天の石像は、数多の人々が体の一部をコインなどで削り取ってしまうため、今、建っている石像は四代目だそう。(右側の大黒様が三代目)
そして、あまりに削られ痩せ細ってしまった初代と2代目の大黒様は、こちら大黒堂の奥に奉納されているんだとか。
時刻は10時10分。
豊川稲荷に到着してから1時間以上経ち、Uさんがトイレに行きました。
豊川稲荷の敷地内にはトイレが2ヶ所あり、一つは総門から入ってすぐ右側の場所。
もう一つは、万燈堂と弘法堂の間にある「宇賀神」と書かれたお堂の左横にあります。
お堂の近くに寄ってみると、「金運財宝・福徳の神 宇賀神(うがじん)」。と書かれていました。
ポケットの中に僅かな小銭が残っていたので、Uさんがトレイに行ってる時間を使って御参りしておきました。
奥の院に続く参道を歩き進めると、何体かの狐が彫られた石板が現れました。
「どんなところなんだろう?」
何も知らないUさんと私に待っていたのは、今までの人生で見たこともないような、異様な場所だったのです。
つづく
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