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2017年11月13日月曜日

豊田スタジアムの歩き方 徹底攻略ガイド 豊橋旅行 その16



 今回、アウェイ観戦を名古屋グランパス戦に決めたことで、初めは名古屋駅周辺での宿泊を考えていました。


 名古屋駅周辺となれば、2010年と2015年に2度参拝した熱田神宮へ行って、古いお守りを返納し、また新たな気持ちで参拝に行くつもりでいました。




 しかし、紅葉のシーズンと重なったためか?名古屋駅周辺の安いビジネスホテルはどこも予約が満室。


 急遽、旅のプランを練り直し、浮上したのが豊橋の地だったのです・・・。




 豊橋を旅の拠点に決めたことで、当初、行くつもりだった熱田神宮への参拝には消極的になっていました。


 東海地域で「熱田神宮に勝るとも劣らないパワースポットはどこか?」と検索したところ、商売繁盛のご利益で有名な、ここ豊川稲荷の名前が出てきたのです。




 私自身は一介のサラリーマンで商売繁盛のご利益は必要無いのですが、三男の弟が今年になって有限会社を立ち上げていて、その会社が幸先良く軌道に乗ってくれたらいいなという思いで、豊川稲荷のパワーを授かろうと思い立ったのでした。




 熱田神宮と並び称される東海地域のパワースポットですが、こちらの豊川稲荷、実はお寺なんです!


 正式名を「宗教法人 豊川閣 妙嚴寺(みょうごんじ)」といい、山号(寺号の上に付ける称号)を圓福山(えんぷくざん)とする、曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院です。




 熱田神宮は神社ですが、豊川稲荷は稲荷と付くだけあって、狐を祀った神社と思われがちです。


 しかし、こちら妙嚴寺の本尊は千手観音。豊川稲荷の「稲荷」とは、境内で祀られている、鎮守・豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)のことを言い、




 昔、順徳天皇第三皇太子(じゅんとくてんのう だいさん こうたいし)である、寒巖禅師(かんがんぎいん)が感得された、霊験(れいげん)あらたかな仏法守護の善神なのです。


 豊川ダ枳尼眞天が稲穂を担(にな)い、白い狐に跨っておられることから、いつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至ったと考えられているのです。




 豊川稲荷のご利益といえば商売繁盛が有名ですが、その外にも金運や仕事運アップ、技芸運アップ、悪縁切り・縁結び・対人運アップなどの効果が期待されているそう。




 世の中には「日本三大〇〇」と呼ばれるものが数多く存在しますが、三大稲荷と呼ばれるものもあります。


 ただ、それぞれが自らの稲荷を含めた三大稲荷を主張していたり、自社のみを挙げている場合もあり、万人に共通の日本三大稲荷というのは確定していないそうです。




 しかし、そんな中でも京都にある伏見稲荷大社だけは別格らしく、自社を含めた場合でも、自社のみを挙げる場合でも、伏見稲荷大社は三大稲荷には入っているとのこと。


 まぁ、考えてみれば至極当然で、全国に約3万社あると言われる稲荷神社の総本社を日本三大稲荷に選らばずに自分のところだけを挙げていれば、それはもう誰の目から見てもおかしいと思われてしまうからでしょう。




 それでは、豊川稲荷の境内に大小あわせて九十余棟あると言われる堂塔伽藍(どうとうがらん)を紹介していきましょう。




 総門をくぐって右斜めに歩いていくと立派な本堂があります。豊川稲荷で祈祷を申し込む場合は、こちらの本堂の右横が立会所になっていますので、そちらで申し込んでから本堂に上がり、ご祈祷を願うという流れになります。


(本堂の右隣にある、鐘楼堂(しょうろうどう))


 豊川稲荷大本殿の落慶(完成)を記念して、昭和12年浜松市大々講の寄進によるものである。


 総欅材造りで近代の建造物としては優秀な結構として賞賛されている。




 天井より吊される梵鐘(ぼんしょう)は、戦時中に供出されて久しく妙音をきくことが絶えていたが、終戦後、戦歿者(せんぼつしゃ)の慰霊のためと世界平和と人類の福祉を祈願するために鋳造(ちゅうぞう)されたものである。




 朝夕に打ち鳴らす妙音は、4キロ以上の遠方まで響き渡らせている。


 更にその妙音は、しばしば「除夜の鐘」の音として、NHKを通じて全国に放送されて人々に親しまれている。


(総門をくぐって、真正面にあるのが山門です)


 天文5年(1536年)、今川義元公によって寄進され、当山の現存する中では最古の建物で、唯一の丸瓦葺き造りの屋根の形をしています。




 寛政5年(1792年)に修理し、更に昭和29年春、かなえ講の協賛によって大修理が行われました。


(ものすごい形相でこちらを睨んでいるようにも見える阿吽の仁王像)




 こちら左右の阿吽の仁王像は、昭和41年に篤信者(とくしんじゃ)によって寄進されたもの。




 総門をくぐってすぐ右の場所には、「鎮守堂(ちんじゅどう)」があります。


 別名、龍天堂とも言われ、昔の神楽殿であったものを昭和5年春、本殿の落慶開帳に際し修築したものである。




 祭神は白山妙理大権現(はくさんみょうりだいごんげん)で、宗祖 道元禅師(どうげんぜんじ)が修行のため入宋に際し、特に禅師を守護し、それより曹洞宗の寺院では守護神としてお祀りされている。


(総門をくぐってすぐ右の場所にある、鎭守堂(ちんじゅどう))


 内部正面のご尊像は、名匠(めいしょう)諏訪ノ和四郎の作である。




 毎年5月と11月の大祭の時には、おみこしを本殿より多くのご信者に担がれて、この鎭守堂に渡御(とぎょ)し安置するところである。


(総門をくぐってすぐ左にある、一の鳥居)





 Uさんと私が祈願に来たこの日から、ちょうど一週間後の11月18日(土)・19日(日)が豊川稲荷の秋季大祭ということで、




 年に2度(春と秋)行われる大祭に向けて、境内もそれとなく活気に満ちているというか、ソワソワした感じがしました。


(境内には唯一、天津甘栗の露店が出ていました)




 総門をくぐって一番左端にある一般休憩所。営業時間は午前8時~午後3時30分まで。


 入り口付近にある2台の自動販売機は、周囲と馴染むようにカラーリングも白と焦げ茶色に統一されていました。




 敷地内の至るところに境内参拝案内図が掲出されていました。これだけいろいろな建物があると、方向感覚も分からなくなってしまいそう。




 一の鳥居の手前には、朱色の前掛けをした2体のお稲荷様の銅像が参拝者を出迎えます。




 一の鳥居をくぐり、正面に見えてきたのが二の鳥居と本殿。その左手前には「寺寶館(じほうかん)がありました。




 平成5年5月、参籠堂趾(さんろうどうし)に建設された「寺寶館」は、床面積が1,700平方メートルあり、建物内には国指定重要文化材の「地蔵菩薩像」や、「大岡越前守」愛用の双六盤など、興味あふれる収蔵品の宝物の数々が展示されています。




  その他の収蔵品は、

  太刀(たち)「銘:濃州表佐住松井次一良永貞 安政三年青陽吉日」 御勝山永貞が精魂こめて鍛え上げ、豊川稲荷に奉献した名刀。


 刀 「銘:伯耆守藤原信高 時代:延宝年間」 尾張の刀工伯耆守は初代から4代まで続く。本刀は三代信高のもの。長大な刀であり、生在銘が貴重。


  柘榴染付壺(ざくろ そめつけつぼ)近藤悠三(1902~1985)作
染付は呉須を用いて生地に藍色の絵模様を描き、その上に釉をかけて焼いたもの。悠三は人間国宝に指定された。


 なお、こちらの寺寶館は休館中(2015年2月)となっています。




 一の鳥居をくぐってすぐ右にある、「瀬水舎」。瀬水舎は手水舎(ちょうずしゃ)のことで、参拝者が身を清めるために手水を使う施設のこと。




 参道を挟んだ反対側には、御札授与所がありました。


 こちらの御守り授与所では、大小様々なサイズのお札やお守りが売られており、商売繁盛・家内安全・御影守り・御本尊守り・交通安全・海上安全・大漁満足・大黒天札・御影札、




 福銭・災難除け・幸せの御守り(水晶)・豊川守り・交通安全(ステッカーシール)・御守・仕事守り・学業守り・安産守り・輝きミニ守り(健康・金運・勝・幸せ・結婚・叶夢)など、たくさんの御守りが売られていました。




 御守授与所の右隣にある、「豊楽殿(ほうらくでん)」。


 文政7年(1824年)の建立で、旧本殿の祈祷殿(般若殿ともいう)であったが、大本殿の新築により、ここに移築されたものである。




 特に天井には「絵画格天井(かいがこうてんじょう)がそのまま保存されている。


 大祭時の余興、その他随時に使用されている。




 建物は五十坪(165.29平方メートル)で、総桧造り銅葺(どうぶき)で瀟洒(しょうしゃ)な建物である。




 豊楽殿の右隣にある、「神輿殿(みこしでん)」。本殿内の御神輿と、普段御神輿が収納されている御輿殿。


 つづく

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