昨晩考えたスケジュールよりも1つ早い電車で来れたことで、金釼宮(きんけんぐう)への参拝はとても余裕を持って行うことが出来ました。
鶴来(つるぎ)駅の構内に入ってみると、ご縁をかもす町「鶴来」へ。恋のしらやまさんと書かれた白山比咩神社への案内板がありました!
ただ、手動で開け閉めする戸の陰にひっそりと置いてあったので、ここだと観光客には分かりづらいんじゃないのかなぁ~?
帰りの電車は下調べ通りの10時12分発 北陸鉄道 石川線 野町行き。新西金沢駅へは14駅(乗車時間は26分)。
始発駅である鶴来駅の構内にはUさんと私を含め5人しかいなかったので、電車の中は貸し切り状態。
行きは乗り換えに必死で回りの景色もろくに見る余裕がありませんでしたが、帰りの車内は全く違う心境でゆったりした時間が流れていました。
10時38分、北陸鉄道 石川線 新西金沢駅に到着。
雲一つない晴天とはまさにこのこと。
月曜日の午前中ということで、バスの停留所も誰~れもいまへん。
ターミナルにはタクシー3台と運転手さんが乗っていないバスが1台停まっていました。
時刻表を見てみると、金沢駅経由 柳橋行きのバスが11時10分にありました。
米泉~西泉までは金沢大学行きと一緒で、そこから泉本町を通って終点 柳橋まで20の停留所を巡ります。(金沢駅はここから10ヶ所目)
ほとんど風の無い小春日和の中バスを待っていると、二人のお年寄りが乗車するために停留所に近づいてきました。
Uさんとの会話に夢中になっていると、いつの間にか向かいに停めてあったバスには運転手が座り、エンジン音がこちらまで届いてきました。
11時10分、停留所に滑り込んで来たバスのナンバーは82番。
JR金沢駅までは約19分、運賃は大人240円ナリ。
金沢駅前中央交差点はさすがに交通量が多いです。
JR金沢駅東口に来てみると、鼓門(つづみもん)の前には多くの観光客の姿がありました。
鼓(つづみ)は日本特有の伝統的な楽器の一つで、伝統芸能である能楽・加賀宝生(かがほうしょう)の鼓をイメージして造られたそう。
こちらの鼓門は高さが13・7メートルもある太い柱に支えられており、柱はらせん状に組み上げられていて、湾曲した屋根との組み合わせが美しく、真下から見上げた重厚感と迫力は言葉に表せないほど。
鼓門を潜り抜けるとさっきとは打って変わって近代的なもてなしドームがパッと目に入ってきます。
鼓門とJR金沢駅の間にあるもてなしドームは、3,019枚からなる幾何学模様のガラスの天井です。駅で降りた人に傘を差し出すという、もてなしの心をコンセプトに名づけられ、明るくて雨に濡れない空間を観光客に提供してくれています。
時刻は11時32分。実はここからは完全にノープラン。
今回のアウェー旅行を企画するに当たって、アクセスしやすい駅周辺の名所をいくつかピックアップしたのですが、なんと!昨年末と新年にかけてUさんが家族旅行で金沢に来ていたのです。
さすがに同じ観光地に行っても楽しくないだろうと思った私は、「金釼宮にお参りに行くまでは考えておいたけど、その後は当日のフィーリングで行き先を決めよう」とUさんに伝えていました。
しかし、JR金沢駅に帰ってきてからも行きたい場所が考えつかなかったので、とりあえず東口にあるバスの発着場所で方面別の案内板を見ることに。
すると、金沢駅周辺の名所を一巡出来るバスツアーのようなルートを7番乗り場に見つけたため、「お昼を食べに行ってもいいから、近江町市場を通るこのバスに乗ってみない?」と提案しました。
近江町市場に近い左回りルートのバスは2分前に出発してしまっていたので、Uさんと私は3分後に来る右回りルートのバスに乗ることに。
7番乗り場から出るバスは、ひがし茶屋街・兼六園・金沢城・21世紀美術館・妙立寺(忍者寺)・にし茶屋街・香林坊・近江町市場近くを通るため、城下町を周遊するルートとしては秀逸。
左右どちらも15分間隔で便があるので、特に行き先を決めていない我々のような観光客は、1周約45分のルートをたった200円でぐるっとバスに乗りながら回ってしまうという手もあるでしょう。
11時42分、近江町市場の最寄りである「めいてつ・エムザ黒門小路前」停留所に到着。
もし、左回りのバスだったら金沢駅の次がすぐ近江町市場だったため、周辺の観光名所を見れた右回りルートに乗ったのは結果的に大正解でした!
停留所の向かいが近江町市場のエムザ口の目の前で、たまたま本日から「冬の王者!かに解禁 大売出し」が行われている模様。
アーケードのすぐ左には5階建ての「近江町いちば館」がドーンと存在感を出していました。
金沢の台所と言われる近江町市場の歴史は古く、元禄3年(1690年)袋町の魚市場と、享保6年(1721年)犀川口の市場がそれぞれ近江町に移り、併合されて近江町市場の原型が出来ました。
文化8年(1811年)「金沢町絵図名帳」によると、四十物(あいもの)商(魚の塩もの)や魚鳥商、荷宿(物資が集まる宿)が集まり、すでに金沢の台所としての様相を呈していたと言われています。
明治37年(1904年)には、「官許青草辻近江町市場」の認可を受け、大正14年(1925年)には金沢市内で初めてアスファルト舗装が完成。
昭和2年(1927年)に発生した彦三の大火を乗り越え、終戦直後の昭和21年(1946年)には飢えに苦しむ市民のために豊漁のイワシを販売。
昭和31年(1956年)にようやくアーケードが完成。8つの入り口から入ることが出来る近江町市場は、上空から見るとちょうど「女」の字に見えるそう。
平成21年(2009年)に「近江町いちば館」が完成し、大小合わせて290ものお店が連なり現在に至っています。
ちょうどお昼時ということもあって、あちこちのお店で長~い行列が出来ていました。
私自身は起きてからちょっと気持ち悪さが残っていたため、歩きながら食べられるような一口サイズの物を探してみたのですが、
大勢の観光客でごった返したアーケードはすり抜けるのも大変だったため、わずか13分の滞在で泣く泣く食べることを断念。
月曜日ということで少しは空いていると思っていたのでショックは隠しきれず・・・。(考えが甘かったかぁ~)
武蔵交差点から「めいてつ・エルザ店」横のアーケードを北西に進みます。
回りを見渡すと、この辺りで働いているビジネスマンが昼食を食べる店を探しながら歩いていたり、
Uさんと私のように近江町市場から200円払ってバスに乗るのが惜しい人が、JR金沢駅まで歩いている様子が伺えました。
JR金沢駅東口の「金沢駅前中央交差点」まで歩いてくると、滝のように流れるデジタル水時計が12時39分の時を刻んでいました。
(つづく)
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